2004.07.25、08.11の2日にかけ、父の写植機を解体しました。 それは、重厚な鉄とレンズの塊でした。 内部構造に詳しくないので、説明は省きます。 |
私の父は商業デザイナーと名乗っていましたが、 ようは、各種版下の請負をしていました。 時代は写植からワープロ、コンピューターと移り、 誰でもそれなりのものができるような状況になって、 仕事はどんどん減っていったので、 平成10年の暮れに、父一人の個人事務所はたたみました。 55歳の父の早期リタイヤでした。 細々と仕事をするために必要最低限の仕事道具を持って、 自宅の駐車場にプレハブを建て、あらたな事務所を構えました。 私は小さい頃から事務所に遊びに、または手伝いにいっていたので、 SPICA(写植機の機種名)の時代からずっと父の仕事姿を見てきました。 とうとう父の写植機を解体し始めました。 PAVOの内部には、現役だった頃の父の事務所のニオイが残っていました。 自分が解体するしかないと思っていました。 PAVOがなければ仕事にならない、 そんな重要なものを二度と使えないよう壊していく様は、 とても切ないながらも、淡々としたものでした。 構造を見ながら、写真を撮りながら、 2日にわけ、半分ずつ解体しました。 |
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