心にグサリときた言葉 (加藤諦三著書より)
心にグサリときた言葉
すべて加藤諦三氏の本から抜粋・簡潔化したものです。(著作リスト)
挫折感 自分を隠す 抑圧 不機嫌 言い訳 人を信じられない 相手を責める あきらめられない 愛する人 愛せない人 失敗はイヤだ イヤなことから逃げる はずかしい 嫌われたくない よい子 不安・自信がない・気おくれする 自信を回復するには 甘え・依存 依存を克服するには 親子間の依存を断ち切る 自分自身が解からない 気むずかしい 自分のことばかり 人の不幸が楽しい 心配して絡む 信じやすい 親しさへの拒否反応 大人とは
■挫折感■ トップへ
- 十五歳で傷ついた人が、その十五歳のときの傷を忘れることができず、何とかその傷を回復しようとする行動を選択し続けることによって、実はその人は、さらに自分を傷つけながら三十まで、あるいは五十まで生きている。自分が傷ついた時点から、その後の人生は、結局はその傷ついた行為の後始末をしているにすぎない。つまり、過去に焦点を合わせて生きているということである。挫折体験からその克服の目標・願望を強くしたとすれば、その人は過去に焦点を合わせて生きているというべきであろう。
■自分を隠す■ トップへ
- 人より不安であるため、人以上に安心感を求めている。それが、依存心の強い人は愛情欲求が激しいということになる。本当の自分を隠すために、人以上に愛を必要とし、本当の自分を隠すがゆえに、あるときは高慢になり、他人を見下した発言をしながら、それが自分の内面の不安を隠すための行動であるがゆえに、別のときは不必要に他人にお世辞を言ったりする。卑屈になって他人の気持ちに取り入られようとする。こうして自分の自信のなさをあらわしている。
■抑圧■ トップへ
- 意思でもって強引にある考えや衝動を無意識へ押し込めること=真実と直面することを避ける方法、あるいは真実から身を守る方法=抑圧された行動は、何となく曖昧なものである=ものごとをハッキリさせないで、何もかも曖昧にしておこうとする=真実があらわれることを恐れている=無意識では真実が何であるかを知っている=何となくビクビクしている=自己不適格感に悩まされている=何となく悩まされ、何かをいつも心配している=このままの自分ではいけないと感じている
- 自分の中に自分が認めることのできない感情があると神経症になる。真理を拒否したことで神経症になる。しかし自分がある人に依存しているとき、ときにはどのような重大な真実でも拒否しなければならない。抑圧を拡大し、人は自己喪失する。抑圧によって感情は鈍化する。依存心の強い人が、みずみずしい感情を持てないのは当然である。
- 依存心を克服できなければ自己の抑圧を行わざるを得ない。
■不機嫌■ トップへ
- 大人になって不機嫌に悩まされている人は、子供の頃、家庭で受け入れてもらえる特定の感情があったのではなかろうか。ある感情や考え方は許されるけど、別の感情や考え方は許されなかったのではなかろうか。家の中で受け入れてもらえないが、実際には自分の中にある感情や考え方はあったのである。持つことを許されなかった感情や考え方を実際に持つ時は、それを抑圧する。その心の葛藤を解決できないままで、その人は大人になる。子供時代の家庭では許されなかったけど、大人になって作り上げた人間関係の中では許されているものがある。しかしそこにおいて許されている感情や考え方でも、その人は抑圧することになる。今自分の味わっている感情が、自分の過去において未解決のままになっているものだと気が付かない。自分の親との間のことを再体験しているとは思わず、今自分の目の前にいる人との関係からくるものと錯覚する。
- 不機嫌な人は、神経症的欲求を持っている。あるいは甘えている。要求が多いから不満になる。自分の要求が通らないから怒る。しかし、その怒りを表現できない。その怒りを表現することで相手を失う可能性があるから。人が不満になるのは、相手に対して要求が大きすぎるから。何でも人に頼る人は、自分でしようとしてることがうまくいかないことより、要求していたことがうまくいかないときのほうが不満になる。してくれるのが当たり前と思ってる。したがって甘えてる人は不満になりやすい。不満をぶつける人もいるし、我慢する人もいる。不満を我慢することが心理的特徴を生みだす。不満と、それを我慢しなければならないという気持ちとが心の中で衝突し、葛藤となり、緊張を生み、リラックスできない。その緊張が、ゆとりのない生真面目さの原因となるのでは…。
■言い訳■ トップへ
- 依存心が強く、自己無価値感に悩む人は、勝手に「他人はこう思っている」と決めている。深刻な劣等感に悩んでいるような親の承認を得るために、子供は自己無価値感をもつのであろう。「自分は自分のために生きてもいい」「他人もまた自分がそのように生きることを期待している」とは理解できないのである。嫉妬深い家庭で育った人は、どうしても苦しみや悲惨さを他人に強調する。それは、幼い頃から、他人にどうすれば受け入れられるかを学ぶからである。嫉妬深い家庭の中で、たえず送られてくるメッセージは、「不幸であれ」「不快であれ」でないと「受け入れないぞ」というものである。
■人を信じられない■ トップへ
- 小さい頃、誰も信じられなかったということが、かなり決定的な影響をもつようだ。小さい頃、自分の身を安心してまかせることのできる人がいなかったということが、時にその人の一生を支配してしまう。そのような環境で成長すると、人はどうしても自己防衛的になる。自分を守ってくれる人がいなければ、自分を理解してくれる人がいなければ、小さい子供は自分で自分を守ろうとする。子供の心にひどく鈍感で、子供への要求ばかりが多い親をもった時、子供はどうしても自己防衛的になる。自己防衛的とは、我執が強いということであろう。どうしてそんなに自分に執着するかといえば、幼い頃、安心して身をまかせることができる人がいなかったからである。
- 自己防衛的である=強くすぐれていることを願う=強くすぐれていたいという欲求が強ければ、劣等感は激しくなる=自己防衛的で劣等感が激しくなれば、孤独にならざるを得ない=孤独になれば、虚無感にさいなわれる
■相手を責める■ トップへ
- 相手にしつこく責めることで、自分の中の自尊心を守り、自分は価値のある存在だと主張したいのではなかろうか。心の底で、自分に価値を感じられなくなっている。無価値感に悩みながらも、どうしてもそれを意識の上で認めることができない。挫折に直面し、挫折を受け入れ、挫折を乗り越えていくということができない。何とかして挫折の言い訳を探している。そこに要求の「しつこさ」がある。心の葛藤を、主張し続けることで解決しているのである。
- 執拗にある人の悪口を言うのは、自分がその人に依存している証拠である。人間は依存する対象を支配しようとする。依存と攻撃は表と裏である。子供であれば泣き叫び、ジタバタさせるが、大人になるとそうはいかないので悪口を言うようになる。愛着の対象への要求は執拗である。大人になると、その要求は激しくなる。
■あきらめられない■ トップへ
- 失った対象に固執し、対象喪失に適応できない=その対象との関係において、自分の心理的安全や所属感、自己同一性感覚、尊敬に対する願望など、さまざまなものを得ようとしている=その対象を失うことで、同時にそれらのものを失ってしまうことになる
- 小さい頃、愛情豊な環境に育っていたら、それらのものへの願望を、物質的手段求めなかったであろう。それらへの願望は、小さい頃の環境の中で十分にかなえられているからである。小さい頃、愛情豊な家庭で育った者は、「甘え」という基本的欲求を満たされているから、その基本的欲求に固執しない。ところが神経症的人間にかこまれて育った者は、基本的欲求がかなえられていない。基本的欲求が満たされないまま大人になっても、無意識の部分で、常にその基本的欲求に支配されている。神経症的な人間との関わり合いをもち、その影響から抜けきれない者は、非現実的なことを望みがちである。基本的欲求が満たされていれば、そんなに他人を喜ばせることに固執したり、称賛を得ようとしたりはしない。
■愛する人■ トップへ
- 大事な人には、大事な人だということを言う。
- 心をくみ取る=好きなこと・うれしいことが何なのか見極め、それをしてあげる=相手の表情を気にする
- 愛するとは相手の立場に立てること。相手が何を考え、何に関心を持ち、何をしたいかを考えるのである。決して、自分が相手のためにこんなことをしたと考えている限り、人を愛せるだけの成熟した人格に達していない。自分で自分を支えられるようになったとき、初めて人を愛することができるようになる。
- 結婚を考えるとき念頭に置くことは、相手はどんな人間かではなく、相手はどんな人間となるのか、どんな方向に進むのか、どのように成長していくのか、相手は自分と同じように大人になっていけるか、成長していけるか。これらがイエスなら一緒にやっていけるでしょう。29才ではそう賢くも、やさしさも、思いやり深くもあるはずはない。円熟した理解力を培うようには何年もかかる。未来に向けての展望がお互いに望むものなら、価値観が同じなら、そしてあなたの内的な言葉を相手も解すならば、もう願ってもないことです。
- 過去に執着し、過去の人に認められることばかり考えている。そうしている間に、目の前を心豊な人がどんどん通り過ぎていく。
- それぞれが自分一人で決め、ばらばらの生活を送り、相手にとらわれない、言い争いもあまりない、私は私。このような関係は長続きするかもしれないが、情緒的ではない。真の対等な関係とは、伝統的な役割を克服して、対等な立場で向き合うことによって、それまで味わったことのない満足感を味なうことができる。対等な関係をめざすと陽気な態度・思いやりの深さ・相手に対する関心の大きさが生まれる。
- 愛情飢餓感が強い人は、自分が完全でないと受け入れられないと感じる。好かれていても好かれていると信じられない。見捨てられる不安を感じつつ、一方で貪欲な感情な欲求を持っている。幼児期の愛情欲求が満たされていないからである。それが充分に満たされたとき、他人や自分を信じることができるようになる。
- 自分に弱点があっても人より劣っていても、相手を失うことがないと感じられるとき、愛されていると感じられる。
■愛せない人■ トップへ
- 触れることができない、触れられたくないのは、子供の頃のあたたかい接触の欠如のためである。親と肉体的に接触しながら、子供はその接触に際して不安な緊張をしている。敵意や不満を抑圧している。そのような人は大人になっても、心の底では近づくこと、肉体的に接触することに危険を感じつづける。
■失敗はイヤだ■ トップへ
- 失敗にとらわれて、次に向かって意欲的になれないというのは、憎んでいることである。自分を捨てていった恋人のことを忘れてもっと未来に目を向けて生きようとしても、その恋人のほうに気を取られてしまう。頭では分かっていても気持ちが付いていかない。
- 完全主義も同じである。実際の自分は理想の自分と違うため、失敗してはいけない、すべての事を知らなければならないという考えにとらわれているのだ。非現実的な高い水準で自分を絞め殺している。
■イヤなことから逃げる■ トップへ
- イヤなことでも理屈に合っているのが分かるから言いたいことが言えない。
- 人生いいことない、つらいことばかりと考えれば、そうなってしまう。失敗すると思っていると失敗してしまう。その考えから抜け出せない。失敗したらそのとき解決方法を考えよ。
- 現状維持がいい=向上心がない
- 夢がない=まず現実があって、そこから逃げることばかり考えている
- 懐疑的になるのはやめましょう。イヤだイヤだと思っていても何も解決できません。イヤなものを避けても解決するとはなりません。ただ先延ばししただけです。
■はずかしい■ トップへ
- はずかしい=自信がない=自分がない=自我の確立がない
- はずかしい=失敗を恐れる=甘えたいけど拒否されるのが怖い=気がねする=実際の自分では相手を失うという無念と不安をもつ=自分に対しての失望と恐れ、理想に執着する=自分を受け入れてない=マイナス面ばかりにとらわれる=警戒心が強い=相手を信じていない
■嫌われたくない■ トップへ
- 人に嫌われることを恐れる=自分の感情を表現できない=愛情欲求が満たされないから、すでにある関係にしがみつく。新しい関係を作るのにも熱心である=でも自信がない。不満である。いつか壊れるかもしれない不満がある=見捨てられる不安があるからよい子を演じる
- 自分の存在を認めてもらいたい人は、好きと嫌いの両方の感情を持つ。自由になりたいと思いつつ束縛されたいと感じる。自立への願望が満たされずに不満である。不安から自立できない=不機嫌=一緒にいても、離れても不愉快
- 行動に一貫性がなく、その場その場の衝動で動く=他人に嫌われるのが怖い=やたらに機嫌をとる=気に入られないことは隠す、秘密にする=他人に譲ってばかりいる=他人の目によって、〜すべき・〜すべきでないと決める=自分の判断がない=情緒が未熟
- 他人関係を円満に維持しようとする心の底には、怒りが積もる。相手と争えないで自分が折れる。怒りや不満を表現できない。しかも依存性が強いと、その怒りさえ気づかないくらい抑圧する。
■よい子■ トップへ
- よい子を演じる。甘えを抑圧する=相手の期待に答えようとする
- よい子とは、実際の自分を裏切って重要な他者に気に入られようとしている。そして表面はよい子であるが、心の中は不満でいっぱいとなる。嫌味な人は心の中の不満を表現できないので、なんとなく素直でいられなくなっている。何かと人に絡んでくる。他人の不幸を心の中で喜んでいるようになっていく。だが、心の底の不満さえなんらかの形で解消されれば、また素直な人になれるのである。
■不安・自信がない・気おくれする■ トップへ
- 自信を持って生きるには自分の力で自分のほしいものを手に入れようとする気迫が必要。
- 自己主張できない人に、何で自己主張できないのか問うことが一番つらい。
- 不安なとき従順になり、人に迎合して安心を得ようとする=他人の保護を求め、他人の助けによって自分を守ろうとする=自分を抑圧する=他人の機嫌をとるため自分を表現できないで不満がたまる=一心同体でないといけないような感じ方になる=自分を隠すことで偽りの罪悪感を持つ
- 自分で自分が頼りなく感じるから人に頼ってしまう。依存性が強いと別れることができない。かといってそれで他人への欲求が満たされるわけではない。満たされないと敵意や憎しみが生まれる。でも別れられない。その人を失うことを恐れる。恐れるようになれば、相手の期待に答えようと自分を抑圧する。自分の感情がすっきりしないのは、感情が矛盾しているから。好意と敵意が同じ対象に抱いている。遠慮したり照れたり恥ずかしがったりするのはそのせい。自我が確立し、情緒が成熟したとき相手と親密になれる。
- 親自信が自分の内面に心理的な問題を抱えていて、その解決に精一杯であると、子供の心を理解する余裕がない。子供は「私達」という感覚を育てることができない。漠然とした不安感を持つ。
- 自信のない人は、どういうわけか自分の心のための行動をとりにくい。そのために他人の思惑にいいように引きずりまわされてしまう。弱さを出発点にして行動を始めた人が、自分自身を犠牲にしてしまうということである。
■自信を回復するには■ トップへ
- 自信のないとき、自信を回復しなければならない。そのためには、まず自分にとって”誘惑的な行動”に打ち勝たねばならない。自分自身にとって誘惑的な行動とは、他人に自分を印象付けようとする行動である。それよりも、自分の心のための行動を他人以上に多くしなければならない。
■甘え・依存■ トップへ
- 他人に依存しながら、他人を支配しようとしている=要求が多い=相手が常に自分に注目してほしい、他人が自分を特別な人間として扱って欲しいと望んでいる=自分がいかに扱われたかが喜びと悲しみを分ける=周囲に必要以上に受け入られることを要求し、それが受け入られないから、劣等感や不安感を持つ=傷つきやすい=傷つくことを避けるには、いっさい他人と接しなくなるか、能動的になるか=すべては受け身の要求=能動的な要求を持っていないから、いつになっても自信が持てない=能動的になるには、甘えを克服せざるを得ない
- 甘えの欲求が満たされていない者が他人に合わせるのは、見捨てられるのが怖いから合わせている。自分に自信がない。
- 依存心の強い二人が向き合うと、愛情欲求のより満たされていないほうの人が負け、一層不安になる。そして、立派な人間であることをよそう。
- 人間は弱い存在である。どこまで他人に頼ってもそれで精神的に満たされるということはない。頼れば頼るほど、いよいよ相手を必要とする。
- 自分が依存していない相手、自分が甘えていない相手=自分にとって脅威の存在=極端なまでに気がひける、遠慮する=自己主張することがない
■依存を克服するには■ トップへ
- 依存心を克服できると、抑圧がとれる。自分が何が好きか分かるようになる。自分の好きなことができるようになる。
- 自分は依存心が強いことを自覚しなければならない。どうして自分がそんなに依存心が強くなったかという原因を探ることから始める。
- 依存心を克服し、自立性を自分の中に育てるには、その対象から離れること。その人のそばにいて、その人と接触し、相互に依存している限り、依存心を克服することは不可能である。今までと違った価値観を持つ人と付き合うことである。今までと行動様式の違う人たちと付き合い始めることである。
- 依存している対象が与えていた安心感と意味を、自分自身の中に発見できるようになることである。自立性が自分の中に育ってきたとき、安心感と意味の中において活動的になれる。自立性が養われず、依存心が強い人でも活動はする。しかし、その活動そのものの中に安心感や意味を感じることはできない。安心感よりも、拘束感が出てくる。「〜しなければならない」という形でものごとを考え、感じ、几帳面になる。
- ここにいればくつろげる・安心できる・甘えられるという環境を感じてもらえる、又は自己主張してもいいんだと思ってもらえるようにする必要がある。
■親子間の依存を断ち切る■ トップへ
- 安心感を持って生きられない、不愉快である、急き立てられるような焦燥感がある人たちは、自分が負うことのできないほどの大きな責任を持つことを、小さい頃から要求されていたのではないか。依存心の強い人の身の処し方というのは、決して自分を他人から責められる立場に置かない。にもかかわらず、他人に対する要求は大きい。そのときに、他人を自分の要求に従わせるのに常に「べき」が出てくる。一般的な「べき」を出されると、それは拒否しにくい。
- 依存心の強い親は自分の親によって満たされなかった甘えを、自分の子供で満たそうとする。しかし、子供が親に甘えるようにストレートに甘えを出さない。そこで一般的論理を持ち出す。一般的論理に子供が従わないことによって、自分はたいへん迷惑しているという表現をし、いつまでたってもほっておくことができない。
- 絶えず周囲に気をひけて、適応過剰で、すぐに自己譲渡してしまうのは、自分の存在がいつも他人の迷惑になっていると感じていることを心理的に強制されながら育てられたからである。
- この親子の悪循環をどこかで断ち切らなければならない。この断ち切るきっかけとして、知識は大きな役割を果たす。偽装された、一般的な論理に対決できるには、その正体を見破る必要がある。それが心理学の知識である。自分の感情は、始めはどうしてもその偽装された一般的論理を否定できない。しかしまず始めに、頭で否定することはできる。このようなものと感情的に対決するためには、自分の感情が能動的になっていなければならない。
- 子供の頃に依存心の強い人々に囲まれて育ったことの影響は大きいが、大人になってからでも、それが治せないというわけではない。大人になってからでも、自分が育ったとき周囲にいた人たちと違った人たちの中に身を置いていれば、自分もまた依存心を克服していくことができる。自分の性格は作られたものである以上、また作り変えることもできる。幼児期に周囲の人たちのあたたかい愛情に触れることは大切である。しかし、大人になってからでも、あたたかい愛情を持った人の間に身を投じることが大切である。新しい環境の中に身を置いて、自分の中で抑圧されていた自分自身の新しい生への傾向をはぐくんでいくこと、それが自立心を高める道である。
■自分自信が分からない■ トップへ
- 自分が何を考えているのか分からないのは、抑圧しているからである。感情・考え・思いを無意識に抑圧し、まわりに迎合しようとしているためである。決して何も考えていないわけではない。
- 自分の感じ方・考え方を後退させ、本当の自分が自分にも分からなくなるのは、精神的安全を求めているからである。人と仲良くするのではなく張り合うようになるのは、他人と比べて自分は劣っていると感じるためで、他人より自分を引き上げることで自分の安全を獲得しようとしているのだ。
- どうしたらいいのか分からない=自信がない=相手の気持ちが信じられない=自分は不必要な存在だと思う=無気力
- 何がしたいのか分からないのは、今まで自分を押さえ自己主張しないようにしてきたため
- 自分の欲求が言えないのは、小さい頃から他人に同調することによってしか生きてこられなかったのが習慣化してしまったからである。相手の欲求をかなえることばかりにエネルギーを使ってしまい、自分の欲求さえも分からなくなってしまったのである。
■気むずかしい■ トップへ
- 気むずかしいとは、その人が本来の自分として生きることに失敗したことを表現している。イライラしたり不機嫌であるというのは、その多くは本来の性格というよりも、やはり本来の自分として生きることに失敗しているのであろう。
■自分のことばかり■ トップへ
- 自分に対する執着が強すぎると、相手を理解できなく相手に対する思いやりはなくなる。自分が相手から気に入られることしか考えなくなる。そして挫折して神経的自尊心が傷つき、相手から離れようとする。相手の気持ちなどまったく思いもよらない。
■人の不幸が楽しい■ トップへ
■心配して絡む■ トップへ
- あなたのことが心配だから、よりよく生きてもらいたいからと相手に絡むのは、自分の中の幼児性から相手に絡んで言っているのを、友情や愛情という言葉で合理化してしまう。絡まずにはいられないのに相手の弱点にすり替えていく。しつこい・理屈っぽい・さっぱりしない人とは、絡まずには生きていけず、そのうえ自分の幼児性は認めないのだ。
■信じやすい■ トップへ
- 「かたち」ばかりで「心」がない。言葉どおりのことしか受け取れない=だまされやす=寂しい
■親しさへの拒否反応■ トップへ
- 他者と心から親密になれないという人は、ありのままの自分と向き合うのが怖くて、不快なのである。他者と親密になりたいと願いながら、心の中にどうしても障害があって、それを壊せない。過去の誰かと今の相手とを混同しているのだ。昔の感情の再体験を止めるには、まず昔のありのままの感情に気付くことである。
■大人とは■ トップへ
- 自分の中に自分を許せる部分ができてきて、無理のない範囲で向上していくことが大人になっていくということ。大人になるとは、自分の中で醜いものを許しながら、無理のない範囲で自分が無理なくなれる理想像を描きながら、理想に向かって努力していく態度である。醜いものを認めないでごまかしているから、自分が達成できる理想像を目標にしながら、努力していくことがない。
かつて加藤諦三氏のHPは学生が立ち上げていて公式がなかった頃の2000年4月23日に、早稲田大学・加藤諦三研究室の学生からメールにて「大変勉強になりました。」とコメントを頂戴しています。(追記2017.05)