猿田彦神社の解説


■猿田彦大神■
主神 猿田彦大神
相殿 大田命

猿田彦大神(さるたひこおおかみ)は天孫降臨の時、
天八衛(あめのやちまた)に待ち迎えて、啓行(みちひらき)をされ、
天孫を高千穂へと導かれてから天宇受売命(あめのうずめのみこと)に送られて伊勢の五十鈴の川上に来られ、
ここを中心に広く国土を開拓指導された地主の神で、
皇大神宮がこの地に鎮座されたのは天上からの幽契(ちかい)によると古書に伝えられて居ります。
垂仁天皇の御代に皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が神宮鎮祭の地を求めて諸国を巡歴された時に、
猿田彦大神の御裔の大田命(おおたのみこと)がお迎えして、
大神以来守護して来た五十鈴の川上の霊域を献上して、伊勢の神宮を創建申し上げました。
大神と大田命との子孫は宇治土公(うぢのつちぎみ)と云い以来、
永く玉串大内人と云う特殊な職承に任ぜられて代々奉仕して来ました。
御神徳高い大神は佐田大神、千勝大神、白髪大神、導祖神、さいの神、庚申さま等々として
津々浦々にお祀りされますが、日本書紀にも伝えられている通リ、
大神本拠の地であり大神の末孫宇治土公家の累代奉祀する最も特色ある本社であります。
大神は古来物事のはじめに災害を被い、万事最も善い方へみちびき給うとされ、
特に地祭方除、災除、建築、移転、開業、商工業の繁栄、豊産、豊漁、開運の御祈祷を全国から出願されます。


■境内社 佐瑠女(さるめ)神社■
猿田彦大神は国の始めに天孫「ににぎのみこと」を日向の高干穂にお導きしましたが、
高天原から日向への途中最もけわしい「あめのやちまた」で天孫を迎えて居るときに、
堂々たる猿田彦大神のお姿に多くの男神が恐れて近づけなかったのを
「あめのうずめの命」が大神の真意を問い正して一番よい道を開かれました。
「あめのうずめの命」は猿田彦大神を伊勢まで送って来られましたが、
その時に「ににぎのみこと」から「さるめ」氏という姓をいただきました。
天照大神が天岩窟の中に入ってしまわれて世の中が荒れ暗闇の様に成った時に
「あめのうずめの命」が岩戸の前で舞踊をされ、
神々が大へん喜び拍手をする様子に天照大神が不思議に思って岩戸から出られ、
元の平和な世の中になったという神話は有名です。
「あめのうずめの命」の子孫は「さるめ氏」として、国の中央の芸能を担当すると共に、
広く民族芸能の中心となって来ました。

「あめのうずめの命」は「わざおぎ」(俳優)の神として「たましづめ・たまふり」(鎮魂)
の元祖と称えられます。
「たましづめ」とは、人の身体から離れようとする魂をしっかり身体に納めて、
明るく素直で豊かな心の人であるようにすることです。
「たまふり」とは、身体の内に澱んでいる魂を振り起して、
生々とした若々しい活動の出釆る人であるようにすることです。


引用資料 猿田彦神社

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