北海道の歴史 オホーツク文化と擦文文化



続縄文時代の後はオホーツク文化と擦文時代が平行してあり、アイヌ文化へと続く。
オホーツク文化はシベリヤ・サハリンなどの北方諸地域の文化とつながりがあった。
オホーツク文化の遺跡は、北海道北部の利尻・礼文島をはじめ、
稚内・枝幸から湧別・網走・斜里にかけての沿岸部、
羅臼から根室にかけての根室海峡に面した地域に点々と分布している。
そしてさらに隣接のサハリン、クリル(千島)列島にも分布している。

オホーツク文化の人びとの暮らしは、おもに漁撈と海獣猟によって支えられていた。
とくに北海道付近に回遊し、
あるいは流氷とともに南下してくるオットセイ、トド、アザラシなどの海獣類は、
洗練された銛と、数人が乗り組んだ舟を使つて狩猟した。
このオホーツク文化の海獣狩猟技術は、
のちのアイヌ文化の海獣猟の形成に大きな影響を及ぼしたと考えられている。
またオホーツク文化の人々は、家のまわりでブタやイヌを家畜として飼育していた。
竪穴式の家に暮らす人びとの生活用具には、
土器のほか、石や骨角、金属を材料にした弓矢、槍、鍬、斧、縫い針、木材を加工した器がある。

オホーツク文化の人びとは独特な精神文化をもっていた。
その―つが野生の動物に対するものである。
家の内部の―角に狩猟した動物の骨を祀っていた。
彼らは海や山の恵みに感謝を捧げていたのであろう。
陸獣のうち―番恐れられるクマもその対象となった。
のちのアイヌ文化のクマ送りへの影響を指摘する考え方もある。
牙製女性像やクマ、海獣などをかたどった骨角器は、
祭りごとに関係があるのかも知れない。

オホーツク文化のもっとも特徴的なことは、
北東アジアの遺跡から広く発見されているものと同様のものが、遺跡から見付かることである。
アムール川中・下流城の遺跡から発見さている帯につける青銅製の鐸や鈴などの飾り金具、
刀身が内反りの小刀などは枝幸や網走・根室から出土している。
また土器の文様や器形にも、きわめて類似したものがある。
このようなことから、オホーツク文化は、
アムール川流域あるいはサハリンから南下してきた人びとによって形成されたと考えられるのである。

擦文時代を特徴付ける大きな要素に、鉄製品の使用が本格化したことにある。
伝統的な狩猟に加え、ヒエ・アワなどの穀物類の小規模で原始的な農耕がはじまる。
本州文化の影響を強く受け、それまでの伝統的な文化がもっとも大きく変容した時代であり、
この後に続くアイヌ文化の基盤が形成された時代でもある。

オホーツク文化はサハリンから稚内をへて根室に至る
オホーツク海沿岸に南下移住してきた海洋狩猟民の文化である。
その終末は時間的に平行する土着の擦文文化へ吸収消滅していったようだ。
海獣猟や魚撈を生活の基盤にし、ブタも飼育されていた。
優美な文様をもつ土器や石器・骨角器などの多様な魚撈具のほか、鉄製品も使われていた。
モヨロ貝塚はその代表的な大集落跡である。

極北・亜極北地城など寒冷な北方地域へ進出した人類は、狩猟や漁撈を通して、
食料や衣類、そのほか生活に必要なものの多くを得てきた。
初期の狩猟は大型陸獣が対象であったが、北方へ進出した人たちの一部は、
海岸地城で豊かな海洋生物に依存した生活を行うようになった。
北方の人びとの海獣狩猟の起源については、まだ充分あきなかとはいえないが、
次のことから、少なくとも北欧では4000年〜5000年前まで、
北米では約9000年前までさかのぼることができると考えられる。
約4200年前の北部ノルウェーの岩壁の線刻画には、
ボートに乗った一人の人間がイルカとアザラシを追いかけている様子が描かれている。
また、北米でもアリューシャン列島東部から8700年前の海獣狩猟民の住居地が発見されており、
ずでに海洋適応した文化が確立されていた。
北海道でも海獣狩猟は、約5000年前の縄文期にまでさかのほり、
アザラシ猟がより重要な位置を占めていた。
これらの海獣狩猟の伝統はアイヌ文化にオットセイ、アザラシ、クジラ猟として受け継がれていた。

海獣狩猟文化に共通する特徴として回転式離頭銛の使用があげられる。
海獣類は陸上の動物とは異なり、槍や矢で傷を負わせても、
水中に潜ることで容易にハンターから逃れてしまうので、海獣狩猟には銛・先に網がつげられ、
動物に突き刺さると、柄と銛が離脱する離頭銛が用いられてきた。
銛先につけられた網をたぐりよせ、八ンターは獲物に止めをさし捕獲することができる。
古い時代の銛は、動物は突き刺さった銛の脱落を防ぐ工夫がされていたが、
強い力がはたらくと、銛先は抜け落ちる。
このことを解消するために、突き刺さった銛先が動物の体内で90度回転し、
あたかもボタンがボタン穴から抜けにくいのと同じような機能をもつ「回転式離頭銛」の技術が開発された。
回転式離頭銛の銛網には浮き袋や銛の柄がつながれる場合が多く、
海獣の捕獲をより一層確実にする工夫が施されている。
回転式離頭銛は、
北方のさまざまな地域で、アザラシから大型鯨種にいたる海獣狩猟に用いられてきた。

イヌイトは最も高度な寒冷地適応をした民族として知られているが、
さまざまな狩猟対象動物のなかでもアザラシ類に依存することによって極北における生存を確保してきた。
肉や脂肪は食料に、脂肪は独特の石ランプを用いた照明や暖房、調理の燃料として利用されてきた。
また、アザラシの皮は防水性にすぐれた衣服や靴、手袋、
カヤックやウミアックなどの皮舟、住居の覆いの素材として利用きれ、
腸や魚の皮はより防水性が求められる春から秋のカヤックによる海上狩猟のパーカーに用いられた。
アザラシは極北のイヌイトにとって、一年中得られる唯一の海獣である。
春がら秋にかけては、開氷域におけるカヤック猟や水上での猟も盛んに行われる。
冬季間、厚い氷に覆われるカナダ北極沿岸では、アザラシの呼吸穴猟が行われる。
海氷の下に生息するワモンアザラシは呼吸のための穴をいくつか確保しており、
イヌイトのハンターは呼吸のために浮上してくるアザラシを離頭銛で捕獲する。
呼吸穴は犬を利用したり、穴の存在を示す微妙な特徴を判断しで探りあてる。
北太平洋沿岸の諸民族やノルウェー北部のサミなど
極北、亜極北地域の海獣狩猟民は伝統的に捕鯨を行ってきた。
最も一般的なクジラ猟は離頭銛によるものであった。
イヌイト、チュクチ、ヌートカ(ヌチャヌスル)は銛網にフロ―トをつけ、
練り返し銛を打ち込むことで大型の鯨種をも捕獲してきた。
大型鯨種は沿岸寄りに回遊し、遊泳速度が遅く、
さらに死体が沈まないことなどが捕獲の条件となり、
主にホッキョククジラやコククジラ、ザトウクジラ(死体は沈む)などを捕獲していた。
また、シロイルカやイッカクも極北地域の重要な狩猟対象種であった。
アイヌは離頭銛を用いた捕鯨を行っていたが、フロートを用いず、
銛先に塗ったトリカブトの毒などで鯨を衰弱させ、セミクジラなどの大型鯨種も捕獲していた。
アリュートとコニヤック・イヌイトもトリカブト毒を利用したクジラ猟を行っていた。
銛先に毒を塗った槍をカヤックからクジラに打ち込み、その後ハンターは集落へ戻る。
この方法は死亡したクジラが近くの海岸に漂着することを期待する捕鯨方法であり、回収率は低い。
さらに、網を利用した捕鯨がコリヤークの一部地域で行われてきたと伝えられている。


引用資料 道立北方民族博物館

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