:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:_:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:_:*~*:._.:*~*:. 向島百花園は百花園というほどに、 結構広い敷地にいろんな草花がありました。 ネコが寄ってきたので相手してたんだけど、 ネコの欲求が満たされなかったからなのか、 噛まれるは、引っかかれるは、 ケータイストラップのお地蔵さん(カードローンのアイフルのやつ) を噛みちぎろうとするはでまいりました。 でも、側を離れようとしないんだよ。 堀切菖蒲園はほぼ菖蒲のみで、結構狭く、 歩くところはコンクリートで固められてて味気ない。 菖蒲、あやめ、カキツバタの見分け方の説明書きがあったけど、 別に私にはいっしょくたでいいです。 円通寺には、彰義隊が新政府軍と上野の山で戦ったときの遺物、 寛永寺の山門・黒門が移築されてます。 鹿児島で見た石垣と同じように、蜂の巣状態でした。 小塚原刑場跡、鈴ヶ森刑場跡、伝馬町牢屋敷跡と、 江戸時代の刑場関係はこれで全部見ました。 小塚原刑場跡は、いにしえの姿を連想しやすかった。 鈴ヶ森と伝馬町は、現在のまわりの状況がすさましいからね。 小塚原もすさましいといえばすさましいけど。 小塚原刑場に隣接してある回向院は、 相撲でなじみのある本所回向院の住職・弟誉義観が、 行路病死者や刑場者の供養のために開いた寺でした。 当時は常行堂と称したそうです。 杉田玄白らはこの地に何度も通って、 明和8年(1771)の「解体新書」の翻訳に取り掛かったそうです。 :*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:_:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:_:*~*:._.:*~*:. 戻る