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   向島百花園は百花園というほどに、
   結構広い敷地にいろんな草花がありました。
   ネコが寄ってきたので相手してたんだけど、
   ネコの欲求が満たされなかったからなのか、
   噛まれるは、引っかかれるは、
   ケータイストラップのお地蔵さん(カードローンのアイフルのやつ)
   を噛みちぎろうとするはでまいりました。
   でも、側を離れようとしないんだよ。

   堀切菖蒲園はほぼ菖蒲のみで、結構狭く、
   歩くところはコンクリートで固められてて味気ない。
   菖蒲、あやめ、カキツバタの見分け方の説明書きがあったけど、
   別に私にはいっしょくたでいいです。

   円通寺には、彰義隊が新政府軍と上野の山で戦ったときの遺物、
   寛永寺の山門・黒門が移築されてます。
   鹿児島で見た石垣と同じように、蜂の巣状態でした。

   小塚原刑場跡、鈴ヶ森刑場跡、伝馬町牢屋敷跡と、
   江戸時代の刑場関係はこれで全部見ました。
   小塚原刑場跡は、いにしえの姿を連想しやすかった。
   鈴ヶ森と伝馬町は、現在のまわりの状況がすさましいからね。
   小塚原もすさましいといえばすさましいけど。

   小塚原刑場に隣接してある回向院は、
   相撲でなじみのある本所回向院の住職・弟誉義観が、
   行路病死者や刑場者の供養のために開いた寺でした。
   当時は常行堂と称したそうです。
   杉田玄白らはこの地に何度も通って、
   明和8年(1771)の「解体新書」の翻訳に取り掛かったそうです。

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