第十節  不生不滅 不垢不浄 不増不滅

そのまま読めば「生まれ無い、滅し無い、よごれ無い、きよく無い、増え無い、減ら無い」となる。これらのことは、現にこの世で起こっているではないかと思ってしまう。ここで説いていることはそうではなく、やはりこれも空を表現しているのである。

もろもろの現象は因縁、つまり原因と条件があって起こるだけなのである。色と空の関係のところでわたしが、人が生まれる、生きているという「生」を例に空を解釈したように、生だけでなく、滅・垢・浄・増・減でも同じように、無常であること、空であることを説いている。そういうことで、ここの経は「是諸法空相」の例文であったのだと考える。

ここの経と次の経との間に、羅什訳には「是空法 非過去 非未来 非現在」がある。 「これが空の本質である。空には、過去も未来も現在も無い」である。ミュラーの訳にも「あらゆるものには空の状態の特性をもっている。それらには、始まりも終わりも無い」とある。

しかし、わたしの手元にある貸料の範囲では、法月訳・般若共利言等訳・知慧輪訳・法成訳・施護訳にはこの記述はない。そうすると、羅什がこの経を付け足し、ミュラーもそれに沿ったのではないかと考える。

そもそも、この羅什の付け足した経の内容は、「不生不滅 不垢不浄 不増不滅」に含まれている。生と滅にしろ、垢と浄にしろ、あるひとつのことが同時に起きることはない。必ず時間差が起きているものなのだ。そしてこの六つの状態、生・滅・垢・浄・増・減はともに「不」であり、因縁によって存在するのだから、永遠不滅ではないのである。このように、羅什訳のように過去も未来も現在も無いもの、時間的区分というのは意味をなさないものであることは、「不生不滅〜不増不滅」の中に凝集されているのである。

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