第十五節 観自在菩薩〜以無所得故までの解釈

観音さまが奥深い最高の智慧、すなわち事実を事実たらしめる理由を会得することを、完全にさせるための修行をしている時、観音さまは、色受想行識の五蘊はみな空であると見抜き、わたしたち凡夫にある、あらゆるの苫厄から救ってくださる。

舎利子よ、物質的現象は固定的な実体ではない、というわけではないけれど、固定的な実体でもない。固定的な実体ではないということは物質的現象ではない、というわけではないけれど、物質的現象でもある。物質的現象だけでなく、感覚、概念化、意志、判断作用においても同じである。

舎利子よ、この色・受・想・行・識の五蘊、要するに物質的現象と意識の受動、能動作用には実体が無く、空を本質としている。例えば、生じ無いし、滅しもし無い。汚れ無いし、きよくも無い。増え無いし、減りもし無い。こういうわけで、色も受想行識もなくはないけれどないものなのだ。

また、いろや形や、それを見る眼、音や声や、それを聞く耳、香りや、それを嗅ぐ鼻、味や、味わう舌、触ることや、触っている身体、さまざまなことや、さまざまなことを考えることもなくはないけれどないものなのだ。

さらに、無智、行為、判断、色・声・香・味・触・法、眼・耳・鼻・舌・身・意、接触、知覚、執着、執着した行動、存在すること、生きること、老いること、死ぬこともなくはないけれどないものなのだ。

他に、苦、苦の原因、苦の原因が消えること、さとる方法、知ること、得ること、知って得たものにおいてもなくはないけれどないものなのだ。

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