九州旅行記 その他



鹿児島は、日中はシャツ1枚で充分です。中にランニングシャツ着てたけど、少し暑かった。

移動距離が長い長い。移動時間が半分はあったような・・・。そして半分は、高校の修学旅行の時のルートです。

今回の行きの飛行機では、関東平野が一望できました。松戸あたりの特徴的な江戸川の流れ、市川の国府台あたりや流山の東葛病院あたりでの下総台地の江戸川へのせり出し方、そんなところから江戸川流域が分かります。羽田から八王寺、相模湖、甲府盆地へと飛んで行くけど、それぐらい大きな特徴がないと、ここどこ? って分からないんです。

ここが福岡空港か、と思ったけど修学旅行で来てました。福岡空港なんてまったく覚えてませんでした。それは平戸の平戸城に登って、展望台でもここで写真撮ったじゃないか !! と思い出したくらいです。

吉野ケ里遺跡でやっと地元の言葉を聞きました。九州の言葉がなつかしいです。仕事上でさんざん聞いてたからそう感じました。「ゼ」が「ジェ」になる、たとえば「ゼロ」が「ジェロ」と発音するところは特になつかしいです。やっぱり九州の北と南では、大きく(聞き慣れてないと似たようなものと思うかもしれない)言葉が違います。E.Yが岡山っぽくなってるのを聞いて広島とは違うなって、茨城と栃木は近いけど群馬は違うなって感じてるのと同じようなことです。

ラーメンも久しぶりでした。多くの人は、九州のラーメンの特徴はとんこつだってことしか知らないのでは? 牛丼みたいにトッピングで、しょうがやニンニクとか取って入れるし、替え玉(麺のおかわり)があるし、なんといっても値段が安いです。 380円でした。このぐらいが普通です。

吉野ヶ里遺跡の高層建築はこんなもん? って思いました。世界にはもっとスゴイのがあるよ !! それより、後輩のイタズラ書きを見つけてしまいました。俺らの頃は遺跡が発見されてないから来なかったけど、今は来てるんだろうな、イタズラ書きしてるかなってチェックしてたんです。ありましたね。

修学旅行の時の平戸で初めて「海が青い(緑)」のを見ました。やっぱり今も青(緑)かった。沖縄のさんご礁での鮮やかな色はないけど湘南のとも違う、きれいな水の色でした。青も緑も「あおい」と言うのは、海の色から来てるのだろうか?

この12年間で蓄積したものは大きいです。平戸城の資料館で、ここにも歴史の激動があることを知りました。外国貿易のもともとの拠点であり、キリスト教にからんで松浦藩の取り潰しの危機もあったり、そのせいでその頃の外国との関係のある遺構・資料はことごとく壊されまったく残されてなく、それはその後の拠点となった長崎でも同じです。明治天皇のお母さんが松浦藩の人だったり、ここにも台場が造られたり、同じものを見てても見る視点・興味の対象が深まってるんですね。建物の構造については特にそうで、長崎のグラバー園の建物は「チンケ」だって感じました。半分ニセモノです。修繕でなく改装されています。価値は低いです。たまたま寄った旧香港上海銀行の建物のほうが復原保存をしてて価値が高いです。小樽の日本郵船をもう一回見たようでした。

出島をよーく見てきました。といってもその形は残ってないけど。でも今復元を試みているようで、当時の石垣を掘り起こして整備してるところもあるし、建物を復元してるのもありました。

出島を造ったのは家康の時代で、江戸の埋め立てを始める頃だから技術的には可能。でも出島の造りは簡単でした。もともと砂だまりの多かった海岸をちょっと埋めて陸上と同じ、簡単な石垣の護岸だったので、汐留跡地で見たようなものとはえらく違いました。

ひょんなところでパズルが1つ解けました。修善寺を歩いてイチゴ狩りをしたところの近くにあった反射炉は、東京品川のお台場に設けた大砲や弾を製造したところでした。あの反射炉が国の指定になってて、そんな古くめずらしいものなの? って思ってました。見てくればよかった !!

東京には車で行かれれない路地裏の家がたくさんあります。長崎は、これに坂が加わります。家の敷地なのか道なのか分からないのもあります。建築とか引越のときはどうなるんだろうと思いました。平戸でその一部を見ました。まさに人海戦術でした。背負子や天秤を使った、機械が発達する前の光景でした。

長崎・熊本・鹿児島とみんな路面電車に乗りました。幼稚園時代は王子に住んでたので路面電車に愛着があるし、都電の衰退期を実際に知ってます。でも遠い記憶でしかなく、多くは本などで補足した記憶です。あちこちに保存してある都電はどれもボロく、多くは中には入れません。横浜市電の博物館に行って、よ〜く詳細を見ることが出来ました。そんな博物館級のものがまだ走ってるんですよ。昭和30年代の車両が。どういう訳か、古かろうと新しかろうと乗り心地は変わらない。今の都電は縦揺れがすごいから(昔は分かんないけど)。これは驚いた。

宮崎まで来てようやく西日本らしい制服を見ることができました。関東にも確かどっかにあったような気がするけど、襟が丸でなく四角いセーラー服や、東京ではすでに消えた、人民服のようなブレザー。色は冬服のせいか、至って普通だった。自分の感覚ではつい最近まで普通だった。最近はみんなモデルチェンジしてしまって、どこも似たり寄ったりになってしまったと感じてます。古和釜高校の緑、二和高校の茶、馬橋高校の茶と黄土色、真っ青な松戸高校、明るい青の六実高校、緑と紺の中間の柏陵高校、明るい緑の柏北高校、紫がかった紺の薬円台高校。昔は、挙げると切りがないくらい、色の微妙な違いを見て楽しんでました。まだ、同じようには最近のものを楽しめません。話を元に戻して、西日本の夏服の色や形は、関東には見られない、もっと多くのバリエーションがあります。青系統の明るい色が主ですけど。鹿児島では、独特のセンスの制服を一目見ました。ああゆうのも久しぶりでした。黄色のブラウスに黒のボレロ? で、変な模様がありました。

昔から歴史や遺構・遺跡に興味があったけど、決定的になったのは修学旅行で、熊本城に残ってる西南戦争の弾の跡を見たときの興奮からです。それまで、ハイスピードで建てては壊れていく、たった20年前と今とではぜんぜん違う風景を見せる東京の建築物のなかにいて、昔のままのものを見ることは難しいと思っていました。でも熊本城の石垣や弾の跡は、まさしくその時のままなのです。熊本城の石垣は何年前? 弾の跡は100年ほど前のものです。今あちこちで古いものを見てまわってる原点は熊本城なのです。今回熊本城は見なかったけど、鹿児島でたくさん弾の跡を見ました。

長崎と鹿児島とで2回、猫と遊べました。あちこちで何回か試みたけど、遊んでくれたのはこの2匹の猫だけです。最近猫の習性を少しづつ憶えてるので、遊んでくれる猫にはなるべく「猫式」にやってます。そうじゃなくても「猫式」にあいさつをして様子を見てるんだけどね。ムツゴローのようだね・・・。


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