濃尾平野と南紀の川の考察


濃尾平野の大きな川は、東から木曽川・長良川・揖斐川、
愛知県・岐阜県・三重県が川と同様に隣接する、訳の分かんない場所でした。
琵琶湖は山の向こうだし、鈴鹿山脈の向こうは奈良。
位置関係もしっこりこなく、訳分からん。
東京の荒川放水路と綾瀬川が隣接してるような感じでした。
ここは、埼玉のように川だらけです。
埼玉と違うのは、ここの川はどれも大きな川ばかり。
この前河口堰の問題があったのは長良川だっけ?
長良川よりも揖斐川のほうがにごっていて、逆流してるように見えました。
細かく湾曲した、川本来の流れがそのまま残ってるから、洲や支流が多いです。

慶長19年(1614)に完成させた、木曽川左岸の堤防(犬山から祖父江付近まで)は、
堤防の高さが9〜14.5mという当時では比べもののない程の大規模なものでした。
堤防は代々大切にされ、實文3(1791)と同11年にさらに90cm嵩上げが行われました。
この堤防は、伊那備前守忠次が発案したお囲い堤とよばれ、
忠次は、利根川や荒川の治水工事を行った伊那忠治の父です。
文禄3年(1594)には、現在の東京の千住大橋の少し上流に、
隅田川最初の橋を難工事のすえに架けました。

治水神社の社文?(神社のマーク)は、薩摩のマークです。


龍神村から十津川村に入って見えた川は、
こんな山の中だから渓流かな?との予想に反して、なだらかな川でした。
どこまで行ってもなだらかな流れでした。
十津川村でR168に出ると、湖のような緑色をした水の川が続きます。
その下流にダムがあって、そのためにでした。
それでもやっぱりダムの先は、河口までずっとなだらかな流れです。
これら西川・新宮川・熊野川以外で見た川でも、
川の流れに砂(砂利)だまり・川原石があって、自然の流れに近いなだらかな川です。


引用資料 国営木曽三川公園
       荒川区

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