法隆寺の考察



法隆寺には、小学生の遠足や中学生の修学旅行が、
まるで流れ作業のようにひっきりなしに、行列になってやってきては消えていきました。
小学生の団体が一番多くて、短大も来てました。
小学や中学や高校のガキが寺まわりして楽しいのだろうか?
郊外学習って何だ?
一通りパッと見て終りでしょ?
自分がそうでした。
ただの観光に過ぎませんでした。

ガキがギャーギャーうるさいのはスカンけど、ガイドや先生がわめいてるほうがもっとスカン。
まだ奈良のほうがいいと思いました。
いったい誰が境内の脇や細部までを丹念に観てるのだろうか。
建築や仏の美は感じ取っているのだろうか。
何の情緒も趣も得ることのないような、
子供だけでなく、じいさんばあさんの団体行動にこの日はうんざりしていた。
イライラしていました。

四天王像を観てからはイライラが消えました。
自分だけの世界に入ったというか、酔いしれたというか、
それほどに魅力的でいくら観ていてもちっとも飽きが来ない像でした。
そんな像に久しぶりに出会えました。

五重塔の二層目の下部を、邪鬼が四方を支えています。
金堂の二層目四方柱を登り龍・下り龍が交互に、
五重塔と同じように、獅子のようなものが支えています。
あれは何?
四天王以後は落ち着いて観ることができました。
無心。
ただただ感嘆し、静かに眺め続ける。
いくら見てても見飽きない。
ここの四天王は他のと何かが違う。
何だろう。
踏みつけているのが獅子みたいな邪鬼です。

境内の脇に入ると人気がなく、静けさを取り戻します。
「鐘が鳴る鳴る法隆寺」の鐘の音も聞きました。
そんなこんなで私は、永々と4時間も見てまわりました。

法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。
その創建の由来は「金堂」の東の問に安置されている「薬師如来像」の光背銘や
『広隆寺伽藍縁起井流記資財帳』(747)の縁起文によつて知ることができます。
それによりますと、用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが、
その実現をみないままに崩御されたといいます。
そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、
推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのが
この法隆寺(班鳩寺とも呼ばれています)であると伝えています。

現在、広隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。
広さ約18万7千平方メートルの境内には、
飛鳥時代を始めとする各時代の粋を集めた建築物が軒をつらね、
たくさんの宝物類が伝来しています。
国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでいます。
このように法陸寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶかがやかしい伝統を今に誇り、
とくに1993年12月には、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録されるなど、
世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています。


引用資料 法隆寺

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