伊勢神宮の解説



瀧原宮と同じく、内宮にも御手洗場の川がありました。さすがに巨木が多い。瀧原宮はあまり人が来ないからだろうか、内宮・外宮と比べるときれいだった。白と黒の玉砂利の境目がまっすぐだったし、すべてにおいてラインがきれいだった。大きい宮は聖域が広くて目の前まで行かれないのでつまらない。

五十鈴川の川上につらなる山は、神路山と島路山で総面積はおよそ5,500ヘクタール。奥の方の3,500ヘクタールには将来の式年遷宮御用材造成と水源確保のためのヒノキの造林が進められています。その他は千古の趣をたたえる自然林で、その秀麗な山の姿は仰ぐ人々の心に深い感銘とやすらぎをあたえてくれます。

一生に一度はお参りしたいというのは、代々日本人の切実な願望であったお伊勢参りの歴史は、神宮が伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したときに始まり、年々増加の一途をたどった。古くは神宮の例祭である神嘗祭、月次祭、20年に一度の式年遷宮祭などのお祭りのときに多かったようだが、農作業の閑散で陽気のいい3、4月にもお参りする人が増えていった。江戸時代には多い年で40万、少ない年でも25万人に達した。一番盛大だったのは文政13年(1830)で500万人が参拝した。これは日本人の5人に1人の計算である。

■遷宮■
遷宮とは、新しい社殿を造営し神を移すこと。その際には建物だけでなく神々が使う「御装束神宝」までも新調し社殿に納められる。古くは住吉神社、春日神社などでも行われていたが、現在も完全な形で遷宮制度が伝えられているのは伊勢神宮のみである。

■式年■
式年とは、定まった式(のり)の年という意味で伊勢神宮では20年に1度行われる。これは1300年前に天武天皇が定め、持統天皇4年(690)に第1回の遷宮が行われて、平成5年10月に第61回目が行われた。式年遷宮の制度が定められた以前から社殿はあったが、天武天皇が立派な社殿を造営するにあたり、いかにして大神さまがお喜びになる殿舎を造ればよいかと考えめぐらされたのでしょう。この当時すでに法隆寺は造られており、世界最古の木材建築で今なお厳然と現存している。ところが神宮の建築様式は唯一神明造りと称し、すべて土台石を用いず掘立柱にかやの屋根という素朴な桧の素木造りであり、ある年月が経てば造り替えなければならない。それというのは神は常に清浄なところに住むという神道思想の投影があり、それは神威の更新を仰ぐと共に先例を尊び伝統を固守する我が国の国民性が表れている。

■御装束■
御装束とは、「飾り立てること」で衣服や服飾品などを含めた広い意味を持ち、神座や殿舎の鋪設品、服飾品、遷御の儀に用いる品々を総称する。

■神宝■
神宝とは、神々のご用に供する調度品で、紡績具、武器、武具、馬具、楽器、文具、日常用品に大別できる。この神々の御料は20年間御正殿に納められ、次回の遷宮で徹下する。ただし両正宮の神宝に限っては新宮の西宝殿に移され、更に20年間保存されたのちに徹下する。製作上の参考資料のためである。明治以前までは徹下した神宝類の燃えるものは燃やし、他は土中に埋めた。神の使った御料を人の手に渡るのは恐れ多いとの考えからである。いずれも当代の最度の技術によって伝統の美が活かされた絶品ばかりである。正倉院の宝物のような850種、2500点が20年ごとに確実に調製され次代へ継承されることにより、日本の技法が脈々と今日まで伝わってきた。

■御手洗場(みたらし)■
ここは昔からの祓の場所で、参拝する前に先ずこの五十鈴川(御裳濯川ともいう)の清流で身も心もきよめ、さわやかになって大宮にお参りするのが古来からのしきたりです。

■皇大神宮(内 宮)こうたいじんぐうないくう■
皇大神宮には日本国民の大御親神(おおみおやがみ)とあがめまつる皇祖天照大御神をおまつり申し上げます。天照大御神は歴代の天皇がおそば近くでおまつりされましたが、第十代の崇神天皇の御代に、はじめて皇居をおでましになり、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)におまつりされました。ついで各地をご巡幸ののち、第十一代垂仁天皇の二十六年(約二千年前)大御神の御心にかなった大宮どころとして現在の地におしずまりになりました。

■豊受大神宮(外 宮)(とようけだいじんぐうげくう)■
豊受大神宮には豊受大御神(とようけおおみかみ)をおまつり申し上げます。第二十一代雄略天皇の二十二年(西暦五世紀)に天照大御神のご神慮によって丹波の国(今の京都府北部)からこの度会(わたらい)の山田原におむかえしたと言い伝えられています。豊受大御神は天照大御神のおめしあがりになる大御食(おおみけ・食物)の守護神であり、私たちの生活をささえる一切の産業をおまもりくださる神様です。

■社殿の様式と配置■
こ正殿は唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)という日本最古の建築様式を伝え、ヒノキの素木(しらき)を用い、切妻、手入りの高床づくりです。屋根は萱(かや)で葺き、柱は掘立、すべて直線式で、屋根の両端には千木が高くそびえ、棟には鰹木(かつおぎ)がならび、正殿を中心にして瑞垣(みずがき)・内玉垣(うちたまがき)・外玉垣(とのたまがき)・板垣の四重の御垣(みかき)がめぐらされています。社殿の規模は両宮ほとんど同じですが、内宮の千木は内削(うちそぎ・水手初)、外宮は外削(そとそぎ・垂直切)、鰹木は内宮正殿十本(諸社殿偶数)外宮正殿九本(諸社殿奇数)、内宮は東西宝殿が王宮の後方にあるのに対し、外宮では前方にあります。外宮には板垣内の東北隅に御食殿があるのが最も大きい相違です。


引用資料 皇大神宮(内宮)
       豊受大神宮(外宮)
       神宮徴古館

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