その他の神社の解説



■知立神社■
延喜式内古大社であり、第12代景行天皇の子・日本武尊の東国平定の行路途中で、
皇祖建国鴻業を仰いで国運の発展を祈願し、帰りに報賽のために創建されたと云う。
ここの花菖蒲は昭和30年32年35年に明治神宮から御下賜したものである。


■熱田神宮■
三種の神器の1つである「草薙神剣」の御鎮座により始まる。
第12代景行天皇の御代、
日本武尊は神剣を氷上の里(緑区大高町)に留めおかれたまま能褒野(三重県亀山市)で死去。
尊のお妃である乎止與命(尾張国造)の娘宮簀媛命は、社地をこの熱田の地に定め、神剣を奉斎する。
爾来伊勢の神宮につぐ格別の尊い社として朝野の深い崇敬をあつめ、
延喜式名神大社、勅祭社に列し、国家鎮護の神宮として特別の取り扱いをうける一方、
「熱田さま」とよばれ親しまれてきた。

織田信長が桶狭間の戦いに大勝した御礼に奉納した塀が熱田神宮にあり、強固なものだった。
土と石灰を油で練り固め、瓦を多く積み重ねている長大重厚なものだった。


■多度大社■
御祭神-天津彦根命
天照大神の第3の御子で神代の昔から鎮座し、
雄略天皇期に神殿が創建された北伊勢地方の文化の発展・産業の興隆に力を盡され、
子孫も広くこの地方に繁栄になってその総氏神として五穀の豊熱漁獲の豊収に厚い御守護を加え給い、
雨乞いの神として遠近に信仰する人が多い。
多度山は昔から神が住む山として信じられ、
人々は農耕に恵みの雨を乞い、出生に安産を祈るというように、
日々の暮らしの平穏や家族のしあわせを祈り続けた。
その願いを神に届ける使者の役割を果たすのが多度大社に1500年前から棲むといわれる白馬。
古来より神は馬に乗って降臨とするといわれるように神と馬との関係は深く、
馬の行動を神意の表れと判断することから多度大社では、
その年の豊作凶作を占う「上げ馬神事」を毎年5月4日・5日の多度祭で行っている。


■一日連神社■
御祭神-天目一筒命
多度大社の御子神で御父天津彦根命を扶けて北伊勢地方を開拓する。
また我国金属工業の祖神でもある。


■等弥神社■
神社の山はうっそうとした山深い中の神社だが、眼下の山のふもとは住宅地。


■高天彦神社■
ひっそりとした小さな神社だった。

御祭神-高皇彦霊尊
天照大神の子の天忍穂耳尊に本社の御祭神の娘・栲幡千々姫が嫁ぎ、
御子の瓊杵尊が高天原から降臨される。
その神話にいう高天原がこの台地である。
御祭神を祖神とした葛城族は大和朝廷に先行する葛城王朝を築き、
亡びた後も平群・巨勢・蘇我の豪族として栄えた。
延喜の制では多神大社に列し、月次・相嘗・新嘗には、官弊に預ってきた神社である。
「延喜式」に大和・葛上郡17座の1つで高天彦神社とある。
名神大社に列せられ月次・相嘗・新嘗の祭がある。
祭神は高見産霊尊、別名高天彦神、現在は市杵島姫と菅原道真を併祀している。
御神体は社殿の役方にそびえる白雲峯(694m)であり、別名高天山という。
高見産霊尊は「天孫降臨」に深くかかわった高天彦の神であるため、
この地に今も高天彦伝説が伝承されている。


■花の窟■
日本書紀によると天照大神の母神である伊弉冉尊(イザナミノミコト)は
火の神・軻遇突智神を産んだとき灼かれてこの地に葬られた尊の魂を祀るため、
土地の人々は花が咲く季節に花を飾り、のぼりやはたを立て笛太鼓を鳴らし歌い踏く祭りを行うとさえている。
このことからこの名が付いた。
熊野三山の中心である本宮大社は主神がイザナミノミコトの子であるため、今も花を飾って祭りが始まる。
このことからも分かるように、「花の窟」は熊野三山の根源とされ、
我が国の古代信仰の重要な意味を持った場所なのである。


引用資料 知立神社
       熱田神宮
       多度大社
       高天彦神社
       花の窟神社

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