金刀比羅宮・金毘羅(こんぴらさま)



■こんぴらさま■
祭神は、日本の国を造られました大物主大神(おおものぬしのおおかみ)さまと、
第75代崇徳天皇さまをおまつり申し上げております。

ご神徳は広汎に及び、古来より就中海の神様として知られ、
また農業殖産、医薬興行の神様としても尊崇されています。
これら信仰の顕われは、皇室の綸旨・幕府の朱印状をはじめ、初代讃岐守松平頼重候など、
諸国の大名や文人墨客の寄進になる書画や絵馬等、数多い宝物が文化財として保存されています。


■灯名堂と釣灯籠■
こんぴら信仰は、庶民のそして漁民や船乗りの間にこと篤く。
この灯明堂は安政5年(1853)建てられたもので、
備後国因之島浦々講中の寄進になり、芸豫諸島の人びとの名ともとに、
堂内に棟梁、大工、鍛冶、木挽、石工、左官、瓦師などの名が扁額に記されている。


■白峰神社■
祭神 崇徳天皇、侍賢門院、大山紙神

崇徳天皇は、保元の乱後当国讃岐綾の松山に移られ、当山にも後参篭せられ、
長寛2年(800余年前)白峰の郷に崩御なされた。
当山との深い由緒をもって本宮及比の所に祀り、天皇の御母又山の神も合わせ祀る。


■常磐神社■
祭神 武雷尊、誉多和気尊

武雷尊は神話天孫降臨の条にでている武勇の神。誉多和気尊は仲哀天皇、神功皇后の皇子。
後の応神天皇で八幡さまとして各地に広く祀られている神様です。


■嚴島(いらきしま)神社■
祭神 市寸嶋姫尊

宮島にまつる神と同じ素盞鳴尊(すさのみこと)の御女。
俗に弁財天また弁天と申し、音楽を掌り福徳の神として崇拝せられる。


■三穂津姫社(みほつひめのやしろ)■
本宮 御祭神大物主神の后の神
三穂津姫の神をまつる高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御女。


■事知(ことしり)神社■
祭神 積羽人重事代主神(やへことしろぬしのかみ) 他

ともに大国主神の御子神にあたられ、事知主神は
一般に商売繁昌の神・夷(えびす)さまとして広く信仰せられる神。


■御年神社■
祭神 大年神、御年神、若年神

はじめ大年神社と称す。のち御年神社と御改称。大年神は素盞鳴尊の御子。
若年神は御年神の御弟神の御子。御年神は大年神の御子。農作穀物を司どる神。


■真須賀(ますが)神社■
祭神 建速須佐之男尊 后の神奇稲田姫尊

八俣大蛇退治の天叢雲剣の神話にでる神さまで勇武絶倫の神といわれる。


■遙拝所■
伊勢神宮をはじめ、全国皇陵諸社をここより遙拝する。


■旭社■
祭神 天御中主神 高皇産 霊神 神皇産霊神

天地開闢の神々を祀る。


■絵馬殿■
堀江謙一氏が平成8年3月から138日間かけて太平洋を横断したモルツマーメイド号が奉納されている。


■江戸講中灯籠(えどこうちゅうとうろう)■
総合展示室の中でひときわ高くそびえたっている江戸講中灯籠。
これは、現在も丸亀市の新堀港に建っているもので、
丸亀市の指定有形文化財となっています。

現在も多くの人々でにぎわっている金刀比羅宮(ことひらぐう)ですが、
今のようににぎわうようになったのは江戸時代からです。
海で活躍していた塩飽(しわく)の人々が信仰していた金毘羅(こんぴら)さん。
塩飽の人々が全国で活躍するようになるとともに金毘羅さんへの信仰は全国へと広がっていきました。
また、丸亀藩を治めていた京極氏は、江戸の藩邸に金毘羅さんを勧請(かんじょう)し、
―般の人達も参詣できるようにしたところ、
たくさんの江戸の人たちが、お参りにやってきました。

こうして金毘羅さんの信仰が広がるにつれて、讃岐の金毘羅さんへ、
全国からたくさんの人々がお参りにやってくるようになりました。

金毘羅さんへお参りするために瀬戸内海を渡ってくる船の多くは、
丸亀の湊にやってきましたが、湊にたくさんの船が集まってくるようになったため手挟になり、
新しく新堀の湊が造られることになりました。
新しい湊を造るにあたって、
航海の安全と湊の繁盛を願ってみんなで出し合って灯籠を造ろうということになったのです。
そのために作られた集まりが江戸講中なのです。
この集まりに参加人たちは全部でなんと約3500人。
その内の1400人余りの人々の名前がこの燈籠に刻まれてぃます。

巨大な灯籠を建てるにあたっては、さまざまな人達の協力があったと考えられます。
灯籠の大きさは、そのまま当時の人々の金毘羅さんへの信仰の厚さを表しているといってよいでしょう。

■灯籠の形態■
先のとがった玉ねぎのようなものに焔(ほのお)が三方向につけられているこれは、宝珠とよばれるものです。
宝珠は仏教で宝物とされている玉で、仏像が持っていたりもします。

金毘羅信仰は、天狗信仰と深く関わっています。この棕櫚(しゅろ)葉うちわのしるしもその表れと考えられます。

龍を浮彫りにした板が2枚とりつけられています。

身の丈5.4メ―トル余りもある大きな灯籠。
この灯籠は、江戸で造られたものです。
実は、江戸の浅草観音(浅草寺)に奉納するために造ったものだったのですが、
あまりにも大きすぎるため,寺から奉納を断られてしまいました。
そこへ丸亀の灯籠の話がもちあがり、めでたく、行き先が決まったということです。


引用資料 金刀比羅宮
       香川県歴史博物館

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