與田寺(よだじ)



■與田寺(よだじ)■
香川県大川郡大内町(現・東かがわ市)にある與田寺は、山号を醫王山(いおうざん)、院号を虚空蔵院(こくうぞういん)といい、
室町時代には末寺の数が1,000をこえたと伝えられる真言宗善通寺派の古刹(こさつ)です。

■與田寺の創建■
「與田寺旧記」によれば、與田寺は天平11年(739)、行基菩薩の開基で、
当時は醫王山薬王寺薬師院と称する法相宗の寺院でした。
その後、空海の来住を機に真言宗に改められ、名称も神宮寺虚空蔵院に変わります。
応長元年(1311)には、僧侶が教義を学ぶ談議所の―つとなり、中世讃岐における重要寺院となりました。

■中興開山増吽僧正■
與田寺の中興とされる増吽(ぞううん)は、大内郡与田郷西村(旧・大内町)の出身で、
與田寺や覚城院(仁尾町)をはじめ中四国の多くの寺社復興に関わり、
弘法大師の再来といわれた名僧です。
県内には、応永14年(1407)に増吽が開版した版木で刷られた十二天画像や、
増吽筆と伝えられる弘法大師画像などが各所にみられ、
その広範な布教活動の一端がうかがわれます。
この時期、與田寺は讃岐国の内外に1,000をこす末寺を有し、
大いに隆盛したと伝えられています。

■近世以降の與田寺〜高松松平家の庇護〜■
天正年間の兵火によって本堂以外の堂宇や宝物は灰に帰し、寺は一時衰退しますが、
江戸時代には、高松松平家初代藩主頼重(よりしげ)の庇護をうけて復興します。
その後、讃岐における十ケ寺の一つとして頼重から
五大虚空蔵菩薩画像(ごだいこくうぞうぼさつがぞう)の寄進を受けるなど、
與田寺は真言宗の大寺院としての地位を確立します。
明治時代に入り、神宮寺から改称した與田寺は、
八十八箇所奥の院として今日まで人々の崇敬を集めています。


引用資料 香川県歴史博物館

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