愛されて育ったから、人を愛せる


赤ちゃんは何で育つかとたずねれば、多くの人はミルクだと答えるでしょう。たしかにミルクがなければ育ちません。それどころか、生きてはいられません。人間はパンのみでは生きるにあらずと言われていますが、赤ちゃんだってミルクだけでは生きられないのです。赤ちゃんにとって大切なものについて多くの研究が示してくれています。

赤ちゃんはまだなにもわからない存在だと信じてきたのは、私たちが自分が生まれた頃の記憶がほとんどないからかもしれません。生まれた病院のことだの、とりあげてくれた産科の先生のことだの、その頃若かった両親のことだのまったく覚えていないものだから、赤ちゃんの心はやみの中にあると思いこんでいるのかもしれません。ところが最近は、赤ちゃんはお母さんやお父さんの声や顔により多く反応することや、自分から外の世界へはたらきかけていることがわかってきています。

たくさん話しかけたり、抱っこされたり、かわいいねと触れられたりするほうが、心も身体もよりよく発達していくことがはっきりしてきました。赤ちゃんの、声をかけずにはいられない丸っこさは、神様が心の栄養もちゃんと食べられるようにと仕組んでくれた「わな」なのかもしれません。

もし、やさしく触れられるというスキンシップなくして育ったらどうなるでしょう。むかし、親がいない子どもたちを収容する施設や病院では、人手が足りないという理由から、子ども一人一人にやさしく声をかけたり、抱き上げたりすることが少ない状況におかれたことがあります。きっと、子どもたちに食べさせることや、清潔に保つことで精いっぱいであったことでしょう。抱き上げて哺乳びんを飲ませるゆとりがなくて、赤ちゃんに哺乳びんを手渡しして、勝手に飲むのを待つことがあったといいます。またそれを責められない社会状況であったことでしょう。

そうして育った子どもたちは、十分な栄養を与えられたにもかかわらず、身体は小さく貧弱で、病気にもかかりやすかったそうです。ところが問題はそれだけではなく、喜怒哀楽の感情表現に乏しく、知的発達も遅れがちでした。こうした事実から、子どもは食べ物だけでは育たないことがわかったのです。

なぜ幼い頃のスキンシップに私たちが注目するかというと、子どもの健やかな心と身体の発達にとって必要なのはもちろんのことなのですが、なによりストレスに強くなるために大切なことだからなのです。ちゃんと触れられて育つということは、あなたは大切な子、あなたはいい子、あなたは望まれて生まれてきた子と感じて生きることです。家族みんなが自分の存在を喜んでいるのだと、幼いときにしっかりと身体で感じることができれば、心も身体も大きくなっていいのだと安心して育っていくことができます。大きくなって少々じゃけんに扱われようが、自分は生きていく価値があるから大丈夫、またすぐいい状態に戻れると信じることができるのです。

ドカーンといきなりふりかかったダメージよりも、嫌なことがあるかもしれないとおびえ続けたり、また、起こるに違いないと先の心配をすることで、長く続くダメージのほうがストレスとしては大きいと言われています。少なくてもそうしたストレスにつきまとう不安や恐怖感に対して、とても強い人間に育っていくには、心の栄養が不可欠です。

ちゃんと触れられずに、愛されたという実感がもてないままおとなになったとき、人はどう愛されたらいいのかがわからなくなります。それだけでなく、人を愛することも下手になり、冷たさを感じさせるおとなになってしまうことがあります。人間は愛された経験を通して、人を上手に愛せるようになっていくものなのです。

子どもたちが将来にわたってストレスに耐えて心が幸せになるためには、子ども自身が愛されていることを信じて育つことが大切だと考えます。なぜなら、子どもの頃にいつも愛されていることを実感して育ったなら、おとなになっても穏やかに心を開いて、周囲の人たちを愛することができると考えられるからです。人との出会いの中で、あなたを好きになりたいと思っている気持ちが相手に伝わると、それから始まる対人関係もきっと心地よいものとなることでしょう。少なくとも周囲の人たちを肯定的に受け止める基盤ができているのなら、少しぐらいの孤独や疎外は大きなストレスとはならず、やがて乗り越えていくことができるでしょう。
子どもの心ヘ戻る