ギャンブル性をおびた、親子のかけひき


学習心理学に、ねずみを使った部分強化の実験があります。お腹のすいた三匹のねずみをそれぞれ三つの箱に入れます。箱にはレバーが付いていて、それぞれはレバーに触っても「何も出ない」箱と、レバーに触ると餌がポロリと転がり出てくる「押すと出る」箱、レバーに何回か触ってやっと餌が出てくる「たまに出る」箱になっているのです。狭い箱に閉じ込められたねずみたちは、やがて、しっぽの先か足の先かが偶然にもレバーを動かしてしまいます。そうしているうちに餌が「押すと出る」と「たまに出る」箱に入っているねずみたちは、レバーを動かして餌をせっせとありつくことをしっかり憶えるのです。

レバーと餌の関係に夢中になった頃、餌を止めてしまうのです。そうするとどうなるでしょう。もちろんレバーを足でいくら押しても「何も出ない」箱に入ったねずみは何もかわりません。ところが一度味をしめたねずみたちはそうはいきません。何度もレバーを真剣に押し続けるのでした。そうした三匹を観察すると意外にも「押すと出る」を経験したねずみはもう出なくなったんだと割りに早くあきらめるのです。ところが押すと「たまに出る」を知ってしまったねずみは出ないときを経験済みですから、きっとまた出てくるに違いないと、めったなことではあきらめずにレバーにしがみつくのでした。

外から眺めている人間は「ハハハ・・・・・」と笑ってみているわけですが、ふと気がつけば我が身に思い当たることが多くてその笑いは凍りついてしまいます。これは「今日こそは出るかもしれない」と餌ならぬパチンコ玉へのこだわりそのものだからです。ついつい通いつめてしまうその気持ちは今のねずみの気持ちと同じものなのです。およそギャンブルといわれるものの醍醐味は、たまにしか得られない餌ならぬお金のその不確実性にあるといえるでしょう。今日はダメでも明日は夢がかなうかもしれないと思わせてくれる、それが継続への情熱となっているのです。ギャンブルは大人のもののようで、実は子どもたちにとっても魅力的らしく、けっこうはまっている子どももたくさんいます。

「この子は私の言うことをきかなくて・・・・・・本当に困っているんです」
という悩みは多いものですが、この「言うことをきかない」の中にはいろいろあるにしても、子どもがひょっとしてギャンブルにはまり込んでいるかもしれないと言ったら、驚くかもしれません。ギャンブルというのは、いちかばちか、のるか反るかといったところで、うまくいくかいかないのかそのスリルをあじわいながらやってみるというものです。 しかもまともな人間がすることではないといった思い込みもありますから、まさかうちの子がと驚くかもしれません。でもやっている側からすればうまくいったら大儲け、だめなら次で取りかえすという醍醐味がおもしろくてやめられないもののようです。

一応は「だめ」と言ってみるお父さんやお母さんがいます。
「今日はテレビを10時までみていい?」
とたずねられると、
「だめ、遅くまでテレビ見ていると朝起きれないでしょう」
といいます。それでも、
「お母さん、お願い、いいでしょう」
としつこく迫られると、
「しょうがないわねえ、今日だけよ」
ということになります。

子どもの立場からするとどうせ駄目かもしれないと思いながらも、許されることもあるというギャンブル性の高い経験をすると、やがて深みにはまっていきます。テレビに執着する子どもというよりも、子どもにねだられると結局根負けしてしまう親の姿がそこにあります。

私たちは「叱らないで、だけど引き下がらないで」ということがとても大切だと思っているのは、心理学を通してねずみたちとつきあいがあるからです。子どもがグズグズとねだるのは、お母さんの叱り方の迫カが足りないためではなく、ひょっとしたら今日は許してくれるかもしれないと期待を抱かせる、これまでのいきさつにあるということを知っているのです。

お母さんがやさしくにっこりと「だめよ」と言っても、お母さんの「だめ」はいくら頼んでもいつもダメなら、子どもはレバーを押しても餌の出ない箱に入っていたねずみのようにレバーにこだわったりはしないのです。
「しょうがないわねえ、今度だけよ」
とたまに大穴を当ててしまうと、なかなか足を洗えない世界にのめりこんでいってしまうのです。そんなレバーにしがみつく子どもがとても増えてきているこの頃です。
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