おとなは、もう「がんばれ」ない子どもに気付いて!


最近は、心理的ストレスが人間の身体にさまざまな影響を与えるということが衆知の事実となってきています。身体と心を分けて病気を考えるのではなく、それぞれ大いに関係し合っているということは多くの研究が証明しています。そうした目で子どもを見ると、子どもはもっと身体と心が分かれていないことに気付きます。

おとなは心配なことがあって胸のあたりがもやもやしていれば、心理的原因があってなんとなく重苦しい気分を味わっているのだと見当を付けることができます。とても後悔することがあって、胸がちくちくするような痛みが続いても、失恋のときのきゅんとしたしめつけられるような感じがするときも、多くは病院に馳け込むことはなく、気持ちとのかかわりについて納得していることが多いものです。ところが子どもの場合は、心のありようによって変わる身体の感じは、そのまま身体の痛みとして表すのです。

さまざまな医学的検査をして、彼らの痛みの重大な問題が見つからなかったときは「心が痛い」と訴えているときなのだと理解しておく必要があります。このようなとき、子どもたちを励まそうと、「がんばれ」ということばを聞くことがあります。「がんばれ」という言葉は、「おはよう」のあいさつと同じくらい気軽にみんなの口から出てきます。でも「がんばれ」ではがんばれない子どももいるのです。

さまざまな医学的検査をして、彼らの痛みの重大な問題が見付からなかったときは「心が痛い」と訴えているときなのだと理解しておく必要があります。このようなとき、「検査してみたけれど、どこも悪くないよ。だからがんばりなさい」と病院で言われ、その報告を聞いた学校の先生が、
「たるんでいるだけだ。しっかりしろ」「がんばりなさい」
などということは本当によくある話なのです。これは病院でボディーブローを入れられて、学校でだめ押しのアッパーカットがきまるようなものです。そしてとうとうダウンしてしまった子どもたちにときどき出会うのです。そうした子どもの多くは、心の中でがんばってきたけど駄目だったんだ、これ以上しっかりなんてできない、と叫んでいることが多いのです。

今、苦しいと感じている子どもに、苦しくないはずだといったところでますます彼らの自信を喪失させるだけです。何も解決しない空回りは、鈍感な人間の根性論です。誠実に子どもの気持ちを理解しようとしたら、励ましを求めているのか、今のつらさを受け止めてほしいと思っているかぐらいは判断が付くはずなのです。医学的検査に特に重大な問題が見つからなかったという報告を受けたなら、
「よかったね。悪い病気じゃなかったんだね。痛くてもできることがあるか、いっしょに考えてみよう」
と彼らの身体の苦しさをちゃんと受け止めるゆとりと、彼らの力になりたいおとなとして、そばにいることを伝える努力をしてほしいものです。
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