満たされなかった愛情は、自らの恋愛で補おうとする


人間はだれもが安心して生きていきたいから、自分をできるだけありのまま認めてくれる人を、一生懸命みつけようとします。まず親とか祖父母とかに、無条件の愛や受容を求めようとします。ほぼそれにちかい承認のされ方をして育ってきた子ともは、無理して友達を求めないで、むしろ、友達を承認したりしています。余裕があるのです。反対にそれが少なかった子どもは、だれかに承認してもらおうと友達をさがします、受容してくれる人をつぎつぎとみつけようとしますね。

幼稚園や保育園では、先生や保育者にそれを求めて、つきまとっている子どもが少なくありません。子どもにとって全面的に受容されるということは、ぜったいに必要なのですね、それが自分の価値を大きくすることなのですから。それは本当は、早い時期がいいのです。でも、おくれてでも、やってあげなくてはいけない、大切なことです。何歳になっても、かならずやってあげる必要のあることなのです。

人間はだれもが、たえず受容され、承認され続けていなけれはならない存在です。そして、大きくなるにしたがって、友人などとおたがいに受容し合う、相互依存の関係で生きていくことになります。その場合に、早い時期に十分な受容や承認を得られている子どもですと、それだけ相手を受容しやすい感情が育っていますから、相手からも承認を得やすく、友達もできやすくなります。ところが、そうはいかないで、孤立しがちな状態が続いてきますと、たとえば、思春期になっても仲間とか友人に恵まれないままでいることが多いようです。でも、なんとか相手に認めてもらおうとする若者は、非常に早い時期から熱心な恋愛をくり返しがちです。そういう傾向があるようです。恋愛というのは相互が全面受容し合っている関係なのです。本当は仮の受容なのでしょうが。

一般に、親や家族から十分受容されてきた若者は、中学生や高校生ぐらいの早い時期に、すごい恋愛に陥ることは少ないですね。親や家族に十分に受容されたという実感のない若者ほど、クラスメートなどと早くに、深い恋愛に入ったりすることが多いと思います。

幼い子どもがお母さんにあまえているように寄りそって、公園のべンチや電車の座席で、人目をはばからないで恋愛しているでしょう。それからまた、ずっと年上の人とも恋愛しがちです。年がうんとはなれている場合には、恋愛関係でも夫婦関係でも、年上の人のほうが相手を大きく受容しますから。そういうふうにして過去の愛され方の不足分をおぎなったり、回復しようとしますね。

親は大きくなってからでも、子どもを受容してあげればいいのです。小学生になろうと、中学生になろうと、その意味は大きいのです。必要なだけ十分受け入れてあげるべきだと思います。
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