言うに言えない、言ってもわかってくれない


親や教師は困ったこと、苦しいこと、しんどいことがあったら相談にきなさいと子どもに言います。でも子どもたちはあまり相談しません。なぜでしょう。親や教師に相談しても、どうせわかってもらえないと思っている子どもは少なくありません。

潜在的にはわかってほしいという気持ちはあるようですが、わかってもらえるという希望をもてないようです。だから親や教師に注意をされたり、叱られたりすると、ぼくのことをわかってもいないくせに、偉そうに説教するな!という気持ちになって、ムカツクのです。

表面に見せている明るさと、抱え込んでいる暗さとのギャップが大きい子どもは、そのギャップのもたらすしんどさを理解しないで注意されると、自分のしんどさを知りもしないくせにちょっとしたことで注意されると感じて、ムカツクのです。

今の子どもたちのなかには、ストレスをためて苦しいのは自分が社会や学校についていけないからだ、自分がダメな人間だからだという意識が大人の想像する以上に強いようです。彼らにとっては「苦しい」ということは、自分がダメな人間だということを周囲に表明するようなものです。そんなことをしたら周囲に嫌われ、見捨てられるという不安を持つようです。だから苦しさを見せることができないということもあります。

また、苦しい、しんどいと「泣き言」を言うことは、それ自体が前向きに頑張る姿勢ではなく後ろ向きの姿勢であり、そんな姿勢を見せたら相手をしんどくさせてしまうと思って、苦しさを出せない子どもたちも少なくありません。親がしんどそうにしているので、心配をかけたくないと気遣って苦しさを出せない子どもたちもいます。

そういう子どもたちの内面を知ると、彼らがいかに「明るく、前向きに頑張らねばならない」という意識にとらわれているかということがわかります。明るく前向きに頑張ること自体を否定することはできませんが、それが小さな子どもの心まで支配する強迫的な観念になっているとすれば、話は別だと思います。
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