苦しみを、行動で訴える子ども


いまの子どもたちは自分の苦しみを心で悩むことができず、苦しみを衝動的な暴力として「行動化」したり、身体症状として「身体化」して表す傾向を強めています。苦しみを心で抱え込み悩むことができずに、外に投げ出してしまうのです。なぜ投げ出してしまうのかといえば、苦しみをともに担ってくれる存在がいないからです。

そのことは苦しみを共有し、ともに悩んでくれる人間関係の貧しさを反映しています。苦しみと一人でまともに向き合い悩むことは、苦しみをいろいろ経験してきている大人でもなかなか大変な仕事です。まして経験の乏しい子どもにとっては手に余る仕事です。だれか自分の苦しみにつき合い、ともに悩んでくれる人がいて初めて苦しみを投げ出さないで心に抱え込み、悩むこともできるのです。周囲の大人がそういう救いの手を差し伸べてやれているかと言えば、それができていないケースが少なくありません。

大人自身が自分の苦しみに対処することに精一杯であったり、苦しみとまともに向き合い悩むことをしないで、対症療法的に苦しみを解消することに走っているようすも見受けられます。だから子どもが苦しみを訴えても、それにつき合うことをしないで、すぐにそれを解消する対象を考えます。

たとえば子どもが腹痛を訴えたときに、すぐに「クスりを飲みなさい、医者に行きなさい」で済ませてしまいます。「痛いかよしよし」と子どものお腹をさすり、痛みにつき合ってやろうとはしません。「キレて」衝動的に暴方を振るったり、自己を破壊する子どもは、自分の苦しみを受け止め、苦しみにつき合い、ともに悩んでいる他者とのつながりが切れていると言ってよいでしょう。
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