比較されて育つ、自己否定感 競争原理が支配する社会や学校教育の実状は、親から、子どもを丸ごと受け止める余裕を奪っています。 早期教育の宣伝にあおられる親は、早くから子どもを比較し、部分的な能カや特性を伸ばすことに関心が奪われ、よいところも悪いところも含めた丸ごとの子どもを一個の人格として認め、尊重することができなくなっています。「Aちゃん見てごらん、あんなによく勉強しているよ」「Bちゃん見てごらん、あんなによい成績だよ」「Cちゃん見てごらん、あんなに元気にお外で遊んでるよ」と小さいころから始終他の子どもと比較されて育つ子どもは、常に「あなたがあなたであってはダメなのだ」というメッセージをもらいながら大きくなってくるようなものです。それでは「自分が自分であって大丈夫だ」という自己肯定感はふくらみません。 競争原理に支配された目で子どもを見ると、子どもの部分しか目に入りません。なぜならば比較できるのは部分だけであり、人間丸ごと比較し順位をつけることなどできないからです。比較できる部分だけが目に入り、丸ごとが見えなくなった目は、「おとなしいダメな子」「成績の悪いダメな子」「学校に来れないダメな子」と部分的な特徴によって子ども丸ごとを否定するような評価で子どもに脅しをかけることになります。 そのような評価をシャワーのように浴びてきた子どもは、傷つきやすくなります。教師のちょっとした注意や叱責によって、部分を否定されただけで、自分が丸ごと否定されたように感じて傷つき、落ち込んだり、いじけたり、過剰な反発を示したりするのはこのような子どもです。 |
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