中国旅行記 その他



    鍾乳洞が好きになった原点である秋芳洞に戻ってきました。
    あちこち見てまわって、どんなものであったか再び見てみたいと強く思ってました。
    秋芳洞は、期横がバカでかい。
    鍾乳石・鍾乳柱・石筍、いずれも規模がデカい。
    でも石垣島の鍾乳洞ほうが見ごたえがあった。
    私の中では、石垣島の鍾乳洞がNo.1であるとしました。

    ヒンズー系の神のスタイルは、遮光土器に似てません?

    「中国」の呼び名は、
    14世紀頃(南北朝時)から海外貿易を行い、
    経済的にも政治的にも自立してた九州と
    幕府の支配地との中間にあるから、
    とも言われてるそうです。

    毛利氏庭園
    明治25年に旧長州藩主毛利氏の本居にふさわしいところとして防府に創られた。
    雨が降るなかでの庭園めぐりは初めてです。
    それもかなり激しい雨でした。
    正直、イヤだなーと思いました。
    でもそれはそれで趣があり、
    水溜りになったところで川を作って水遊びをしたりしました。

    呉市入船山記念館にある旧司令長官官舎にも、金唐紙が残されていました。
    金唐紙とは、明治期の高級洋館によく使われた壁紙で、
    大正以降は使われなくなった、今ではほとんど残ってはいないものです。
    保存状態は旧日本郵船小樽支店で見た金唐紙のほうがずっといい。
    そんな金唐紙についてを知ることができました。
    版木棒に模様を彫って、和紙を重ねてそれを叩き写してその上に塗料を塗る。
    もとは革で作られてたもので、ヨーロッパのものです。
    日本での革のものは、タバコ入れ・薬籠・手箱などの
    高級装飾日用品に使われていました。
    日本独自に、革の代わりに紙で作られるようになったのです。

    杓子(しゃもじ)
    18世紀後期、光明院の修業僧誓真によって
    弁財天のびわの形から着想して島民に教えたものが宮島での最初です。
    全国で評判を呼ぶようになったのは
    日清戦争時に全国から召集された兵士が広島の宇品港から出征するのに、
    「敵をメシとる」とばかりに杓子に自分の名前を書いて厳島神社に奉納し、
    勝利の記念に故郷に持ち帰ったことから広がりました。

    広島でジーンズみたいな柄の制服がありました。
    尾道でOLみたいな薄茶(聖ドミニコのような)の、前面のみボックスプリーツの制服。
    中学生のセーラーは必ず下にカジュアルなシャツを着てるのが特徴的でした。

    引用資料 広島城
           呉市入船山記念館
           宮島



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