金唐革紙の解説



    金唐革紙は金唐紙ともいう。
    ヨーロッパの王侯・貴族の城館の壁・天井などに使われていた装飾革、革壁が
    17世紀半ばに日本に渡来した。
    ヨーロッパの装飾革は革に金属箔を貼り、花・動物等の絵柄・文様をデザインし、
    プレスして彩色し、塗料・ワニスを塗って仕上げられている。
    明治6年(1873)ウィーンで開かれた万国博覧会に当時日本橋にあった竹屋商店が
    大型の壁紙を出品したのが我が国の壁紙製造の始まるといわれる。
    この壁紙が金唐革紙と呼ばれて、ヨーロッパ人の関心を高め、注文に応じて輸出するようになった。
    印刷局で金唐革紙の製造を始めたのは明治12年(1879)である。
    初め、抄紙部で抄いていた紙を漆や金銀箔などで加工し、その見本を作って海外に紹介したところ
    注文が次第に増加するようになったので、
    明治13年に本格的な製造を開始し、壁紙業界の技術面でリードする存在となった。
    明治17年頃から官業の民業圧迫という声が高まり、
    海外商社と結んだ6年間の長期契約が終了した明治23年(1890)に壁紙部門を民営移管した。
    大正中期頃からヨーロッパ等で機械による壁紙が作られるようになり、
    手作業による和紙の特徴は失われていった。
    日本製の壁紙は機械製では欧米の製品に太刀打ちできなくなっていった。

    <おまけ>
    この抄紙部があったのが王子の印刷局で、今でも紙抄きをして製造している。
    明治初頭に渋沢栄一の協力のもとで製紙工場がつくられた。

    明治5年(1872)以降に全国各地に153の国立銀行が設立した。
    その名残が第一勧業銀行(旧第一銀行)他、十六銀行・八十二銀行・百五銀行等である。

    引用資料 大蔵省印刷局記念館



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