徳川家康と駿府城
建武4年(1337) | 初代今川範国、駿河国の守護に任ぜられる(建武5年説もある)。駿河国は、今川氏の領国となる。 |
天文18年(1549) | 徳川家康、今川氏の人質として駿府で生活。(永禄3年まで) |
天正14年(1586) | 徳川家康、公式に駿府に入る。 |
天正17年(1589) | 天守閣を始めとする二ノ丸までの駿府城完成。 |
慶長5年(1600) | 関ヶ原の戦いで徳川方勝利。 |
慶長8年(1603) | 徳川家康、征夷大将軍に任命され江戸幕府を開く。 |
慶長11年(1606) | この頃より、駿府の町の町割りや安倍川の治水工事を始める。家康は隠居城として新しい城の建設を川辺町付近に計画するが、従来の城を南・東・北に拡張することに変更。 |
慶長12年(1607) | 駿府城本丸、二ノ丸の修築をはじめる。本丸は完成するが12月に出火し、御殿を始め天守閣など本丸のすべてを焼失する。直ちに再建にかかる。 |
慶長13年(1608) | 本丸御殿等完成。 |
慶長15年(1610) | 天守閣完成。 |
元和2年(1616) | 徳川家康死去(75才)。久能山東照宮に埋葬される。 |
寛永12年(1635) | 城下より出火、城内に延焼し天守閣・御殿・櫓・塀等大半を焼失。 |
寛永15年(1638) | 御殿・櫓・城門等が再建されるが、天守閣は再建せず。 |
宝永4年(1707) | 宝永大地震により駿府城の石垣等倒壊し、建物も1/3焼失。 |
宝永5年(1708) | 駿府城の修築工事を行う。 |
安政元年(1854) | 安政の地震により駿府城内外の建物、石垣などほぼ全壊する。 |
安政4年(1857) | 修復工事を着手し、安政5年完了する。 |
明治2年(1869) | 「駿河府中」を「静岡」と改称。 |
明治3年(1870) | 二ノ丸冠木門払い下げ。以降明治9年までに大手門以下各城門が払い下げ、取り壊される。 |
明治29年(1896) | 駿府城跡を陸軍省に献納。 |
昭和24年(1949) | 静岡市、駿府城跡の払い下げを受ける。 |