VOL.04日本抒情歌〜解説〜
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VOL.04日本抒情歌〜解説〜



比左志0401.初恋
昭和13年、石川啄木の短歌15篇に曲をつけ「啄木によせて歌える」という歌曲集をまとめた。これはその中の一曲。初恋の思い出をセンチメンタルに詠いあげた三行詩を、ABAという三部形式で作曲されている。日本歌曲の中で最も愛唱されている曲の一つ。
比左志0402.かんぴょう
早口言葉の言葉遊びをもじった北原白秋の詩に、おしゃべりしているようなメロディーをつけている。作曲者は "指示されたテンポにできるだけ近いテンポでなければ早口のおしゃべりの味がなくなる。伴奏のグリッサンドの拍子がくずれやすいから御注意。1節から2節位を一気に歌うほうか効果的。" と言っている。
比左志0403.野の羊
昭和10年頃の作品。日本的なリズムと旋律で、しかしスタイルは欧風な歌を書きたいと思って作曲したのがこの曲である、と作曲者は言っている。
快活でコミカルなリズムの中に、牧歌的でのどかな田舎風景が浮かんでくるような作品。
比左志0404.祭もどり
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0405.かじめとたんぽぽ
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0406.親舟子舟
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0407.浪の音
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0408.あの子この子
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0409.たまの機嫌と
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0410.ぬしは牛飼
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0411.びいでびいで
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0412.仏草花
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0413.関守
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0414.追分
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0415.夏の宵月
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0416.くるくるからから
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0417.落葉松
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0418.伊那
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0419.山は雪かよ
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0420.ちびツグミ
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0421.渡り鳥
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0422.ここらあたりか
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0423.あいびき
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0424.野焼の頃
組曲 "日本の笛"
北原白秋の民謡詩集「日本の笛」は大正11年に第1版を出している。その中では日本の自然を通じて、その美しさや生活習慣などを、いろいろな地方の独自の情緒を詠いあげている。その後白秋は、昭和4〜8年にかけて「白秋全集」全18巻が編まれた折、「南方民謡集」「北方民謡集」を加え二部構成で511頁にも及ぶ「日本の笛」ができ上がった。
平井康三郎はこの中から信州軽井沢、追分あたりから南は小笠原諸島あたりまでの21篇の詩を選び、戦争末期の数年間かけて、昭和18年に完成させた。この後、戦後には大木惇夫の詩による歌曲集「日本の花」も作曲している。
比左志0425.ゆりかご
この曲も平井康三郎の青年時代の作品。優雅で柔和な芸術性の高い子守歌で、ブラームスの子守歌を思わせる。
比左志0426.しぐれに寄する抒情
佐藤春夫のこの詩には、この他にも須藤五郎、広石徹、大中恩などが作曲していて、その中では大中恩の作品が一番好まれて演奏される。この曲では速度が何度も変わっているので、注意して歌うように。
比左志0427.平城山
昭和10年5月、平井康三郎が東京音楽学校ヴァイオリン科に在学中に作曲。日本音階の陰旋法で書かれてあり、箏曲のようなピアノ伴奏が、いにしえの平城の都を偲ばせるこの短歌にぴったりの気品に溢れた歌曲である。第一節は作歌者が恋する人を思う心、第二節は仁徳天皇とその妃の盤之媛皇后にまつわる悲恋物語に同情した心のうちを謳った。日本を代表する永遠に残る名歌曲である。
比左志0428.髪
清水脩の歌曲といえば、歌曲集「知恵子抄」がよく知られている。「知恵子抄」は男声合唱にもなっており、他にもよく歌われる曲に「月光とピェロ」があり、男声合唱の作曲家として有名である。彼の曲の作り方はオーソドックスであり、男声合唱には適しているが、歌曲としては少し堅くて重い感じがする。しかしじっくりとうたい込むと味わいのある曲。
比左志0429.ふるさと
女性の作曲家は今では大勢いるが、金井喜久子は本格的な作曲家として最初の女性。沖縄出身であり、その作品のほとんどが沖縄を詠ったらの。この曲も、戦前の美しい沖縄を思いうかべて作曲した、と本人は語っている。

五味比左志〜合唱とともに〜