VOL.05日本抒情歌〜解説〜
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VOL.05日本抒情歌〜解説〜



比左志0501.待宵草("柘次詩日記妙"より)
大手拓次がある店に勤めていたときの大正11年11月16日、入店してきた少女に対して抱いた心情を、ところどころ詩をはさんで日記に書いていった。日を追っていくごとに、純粋で内面的な性格な作者の苦悩とその非劇的な結末が綴ってある。その詩の中から8扁を選んで、連作歌曲として昭和28年11月より翌年にかけて作曲したもの。 "詩人の孤高な純粋さとその中年的な陰影は私の好んだもので、その古めかしさが魅力であり、大正時代の詩に対する懐古的な趣味を持たせたつもりである。"と作曲者は述べている。
比左志0502.かけす
戦後、平井貴四郎や二〜三人の詩人とでホームソングのようなものを作ろうといって、何回かお互いに作品を持ち寄って集まった。その折りの作品の一つで、NHKのラジオ歌謡でも放送された。詩の持つほのぼのとした愛らしい魅力を、そのままうまく表現した作品。
比左志0503.今この庭に
三好達治の詩による20曲のシリーズの中の一曲で、昭和30年8月に作曲、元調は嬰ハ調のエオリアン旋法風で出来ているが、ここでは半音下げて歌っている。
比左志0504.母の幸
野良仕事をしている若い母の美しい姿を讃え謳ったものであり、モチーフとしては少し古いが、少々アリア的でもあり、ピアノ伴奏もうまく出来ていて、情感たっぷりと気持ちよく歌える曲である。
比左志0505.鐘
那珂秀穂訳の「中国歴朝閨秀詩抄」に昭和19年に11曲の独唱歌曲集を作曲した。憂愁に物佗びる佳人のおもかげを偲び、歌の表現は控えめに、またあまり淀まぬ方が望ましい。全曲を通じ伴奏部にロー#ハー♯トー♯への固執旋律で鐘声を配置してある。
比左志0506.雨は降る("前奏曲抄"より)
雨の降る情景をピアノ伴奏が最初から終わりまで一定して鳴らしており、その上に旋律がのって歌うようになっている。一見歌いやすそうに見えるけども、歌の音とピアノの音が半音でぶつかってくるせいか以外と歌いにくい曲。高田三郎の合唱曲は比較的アマチュアに歌いやすく作ってあるが、歌曲に関してはかなり歌い込まないと歌えない。初演は昭和28年伊藤武雄。
比左志0507.市の花屋("パリの旅情" より)
パリの街角の風景を描いたもので、橋本国彦の「お菓子と娘」と同じようにすこしコミカルな洒落た感じの曲。芝居っ気をもって悪戯っぼく歌うとおもしろい。初演は昭和34年古沢淑子。
比左志0508.くちなし("ひとりの対話" より)
合唱組曲「水のいのち」など多くの作品を生み出したコンビ高野喜久雄の詩「ひとりの対話」の6曲目。亡き父が植えたくらなしの木に実がついた、ということから、父の思い出、いのちの尊さを、しみじみと押さえた感情のなかで父との対話をしながら自分の心に問いかけ、そして最後は祈るように歌う。初演は昭和46年古沢淑子。
比左志0509.母をよぶうた
松本民之助は、70曲あまり歌曲を書いているが、この二曲とも小品で、祈りにも近い気持ちで歌うように作られていて、しみじみとした情感が伝わってくる。
比左志0510.黒き落葉
松本民之助は、70曲あまり歌曲を書いているが、この二曲とも小品で、祈りにも近い気持ちで歌うように作られていて、しみじみとした情感が伝わってくる。
比左志0511.あざみの歌
横井弘が疎開先の諏訪湖畔で一年間あまり畑を耕しながら30編ぐらいの詩を作って上京した。その中に「あざみの歌」があった。
昭和21年よりキングの専属になっていた八洲は、夜自由にピアノを弾きたかったため、宿直室で寝起きをしていた。ある時女子事務員がこんな詞があるんだけどと持ってきた。いくつかのメロディーを書き留めておいた中から、白百合のメロディーをあざみにおきかえてこの歌が出来上がった。昭和24年8月「ラジオ歌謡」で作者自身の歌で放送された。レコード化は昭和26年。
八洲の曲はどちらかと言えば歌謡曲風であり、クラシックの人が感情を込めて歌っても、なかなか情感が出てこない。ここに日本語の表現の難しさ、ポイントがある。やはりこの歌も伊藤久男の歌が一番。
比左志0512.さくら貝の歌
昭和14年、八洲の愛する人が18歳でこの他を去った。その人の名「横山八重子」の "八" と戒名から "秀" をとって八洲秀章の名前が出来た。
その時に詠んだ歌 "わが恋の如く悲しや桜貝かたひらのさみしくありて" を作詞家の土屋花情に見せた。同じような経験をした土屋はこれをもとに詩を書いた。
発表されたのは戦後の昭和24年7月、小川静江の歌でNHKラジオ歌謡で放送された。翌年1月辻輝子の歌でレコードが発売されて以来、多くの人がこれを歌いレコードに吹き込んでいる。倍賞千恵子の純情な歌唱が特に好まれヒットしている。
比左志0513.犀川
詩人室生犀星は、故郷金沢に流れる犀川の名をとって犀星と号した。その犀川の堤に座って"こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ"と詠っているように、犀川は心のふるさとである。その歌をもり込んだこの詩に、小倉朗が素朴で流れるような美しいメロディーに仕上げた。
比左志0514.さびしき野辺("優しき歌" より)
軽井沢の自然の中に身を置き、花や鳥や草花や林に語りかけ、自然の中に浸り心を遊ばせて作られた、立原道造の抒情詩「優しき歌」に、柴田南雄が6曲の歌曲集にまとめた。柴田の歌曲の中ではこの「優しさ歌」が一番演奏されていて、代表作の一つである。
比左志0515.ふるさとの
三木露風のこの詩には、斎藤佳三の曲の方が有名であるか、石桁真礼生のこの曲も味わいがある。昭利37年に作曲された。
比左志0516.さざなみは
五七調の言葉とその語気を活かした旋律で曲が作られているので、拍子がその度に変わる。これを歌うには、山田耕筰の歌曲と同じように、言葉を最大限活かしてていねいに歌うことが大切に思われる。
比左志0517.のぞきゑ
昔、祭りなどがあると必ずといってよく夜店で「のぞきからくり」という紙芝居に似た屋台があった。半楕円形で出来た筒にいくつかの穴が空いていて、そこから客にのぞかせ、壁側をスクリーンに見立て紙芝居の絵を次々と見せてゆく、というものである。これの始まりは、日清戦争の戦記物、つまりニュース映画・テレビの代わりであったが、だんだん子供相手の紙芝居的な内容となった。この曲は、その口上の語りをそのまま歌にしたもの。
比左志0518.遙かな友に
合唱を歌っている者にとってはおなじみの曲で、特に男声合唱団では、この曲を歌って幕を閉じるというパターンが多い。作曲者の磯部俶は出身が早稲田のグリーであるので、作曲は合唱曲が多いし、また合唱団の指導にも精通していた。この曲が歌曲として歌われることはまれである。
比左志0519.花のいのち
枯淡な抒情詩に、印象派的な手法でしっかりとした曲がつけてあります。魅力的な旋律の部分がいくつもあるで、詩の内容をしみじみと、また時には感情を溢れさせ、語り聞かせるように歌うとよいでしょう。
比左志0520.お母さま
藤原義江の独唱用として作曲されたもので、高木東六のピアノ伴奏でビクターからレコード発売されているが、いつ頃のことか不明。
"曲は独り言にも似た気持ちで歌っていただきたい。あくまでも言葉の意味を的確に表現してほしい" と作者は示しているが、作曲者のことは不明である。
比左志0521.のばらに寄せて
終戦後の荒れ果てた世相を和らげようと、詩人の大木惇夫と組んでNHKの依頼により作曲したもの。 "祈りに似た気持ちで歌ってください" と作者は書いている。
比左志0522.仮想
この曲の作曲者の名前は田中二郎と高槻晋治と書いてある二つの楽譜があるが、作者のことはよく分からない。フランス風な香りのする即興小品である。
比左志0523.さくらさくら
「さくら」は山田耕筰の曲がよく知られ歌われているが、この「さくら」の作者の中野篤親のことはよく分からない。この楽譜の載っている昭和7年5月春秋社発行の「世界音楽全集27」の解説によると、昭和3年に成田為三に作曲を学んだと書いてあるので、山田より年下であるはず。この作品は習作的なものであろうか。

五味比左志〜合唱とともに〜