第二節 観自在菩薩

観自在菩薩とは、つまり観音さまのことである。東京・浅草の浅草寺にまつられている観音さまはとりわけ有名である。凡夫がそこへ出かけ願いをかけると、観音さまがその願いを聞いて救ってくださるのである。

なぜ観音さまが「観自在菩薩」なのか。玄奘が原語「アヴァラローキテーシュヴァラ」を「観」と「自在」とに分けて訳し、『大唐西域記』巻三では、「観世音」の訳は適切でないと指摘している。

観音、または観世音ともいうのは、この訳は鳩摩羅什(以後羅什とする)が『法華経』を漢訳した時に、観音経の趣意をとってそのように美しく訳したというのである。

もう一つの見解に、観音さまの名前がもともと古い時代には「アヴァローキタ・スヴァラ」であったというものである。「スヴァラ」とは「音声」の意味である。

だが、『維摩経』の最古の注釈書として知られる『注維摩』巻一には、羅什のことばとして、「観世音菩薩」は「観自在菩薩」とも名づけることができることを説いたことが記されている。このことからすると、「観自在菩薩」は羅什も認知した訳語であったのかもしれない。

そういったわけで観音さまとは、さとりを求めて仏になる一歩手前におり、苦しみの世界にとどまって、自分の修行も行いながら私たちの救済も自在に行う御方である。

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