第四節 照見五蘊皆空

照見とは、照らし見る、見きわめる、さとることである。五蘊とは、五つの集まりのこと、つまり「色」(物質的現象)と「受想行識」(意識作用)のことである。

「色受想行識は皆空であると観音さまは見抜いた」となる。色とは、形あるものを意味する。また、壊すもの、壊れるもの、変化するものという意味もある。要するに、形を有し、生成し、変化する物質的現象をさすことばである。

この世は無常だといわれる。形をなすものはいずれ壊れる。壊れるから無常なのである。私たちが見ている、この世界で成すすべてのものとは、生成し、変化する物質的現象であるといえる。色とはわたしたちが眼で認識できる形あるものだけでなく、この世に存在し、起こるすべての物質的現象のことである。

受想行識とは、意識の受動、能動作用のことである。受とは、感受、感覚作用をおこなうはたらきのことである。想とは、受でとらえたものを概念化させるはたらきのことである。行とは、想で概念化したものを経験上に積み重ね、そこに意志とその方向性をもたすはたらきのことである。識とは、認識、識別、分別、判断し、それらを統合するはたらきのことである。眼・耳・鼻・舌・身・意の六種の認識作用が、色・声・香・味・触・法の六種の対象をとらえるときに、そのとらえ方をどのようにするかを決めることである。

五蘊皆空とは、わたしたちのまわりに存在し、起こるすべての物質的現象、またそれを感じる感覚、それは何であるか認識したり、そういったものを思いうかべたりすることで、これらはすべて空であると説いている。形あるものと、その物にたいして感覚、概念化、意志、判断しようとしているわたしたち人間自身も「空」なのだ。

この「空」についてはあとで調べたい。

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