第六節 故知 般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪

金岡秀友氏の『般若心経』「呪」についての説明があるので、少し引用させていただく。

「呪」とはサンスクリット語の「マントラ」の訳語である。このことばは古い歴史をもち、仏教以前から用いられ、それは宗教的儀式に用いられる神歌一般のことをいい、マントラはその総称であった。

初期仏教団での「呪」は、呪術的色彩が強く、釈尊も一部の目的を除いて否定的だった。しかし、大乗仏教にはいると、「呪」は仏の真実を伝える霊威あることばとして、同じように考える「ダーラ二一」(陀羅尼)と並んで、徐々に高い価値を附与されるようになった。これにつれて「呪」という訳語よりも「真言」という訳語の方がより広く用いられるようになった。

ふつう、陀羅尼はより長いサンスクリット語の原音句をいい、真言(呪)はより短いものを指し、種子は一字といわれるが、陀羅尼を「呪」と訳すこともあり、混用されている。

呪とは呪文、まじないのことである。真言とは真実のことば、真実を語ることである。わたしたちがふだん使う「おまじない」とは少し二ュアンスが違く、かといって真実のことばといわれてもピンとこない。ちょうど浄土教で「 南無阿弥柁仏 」と唱えている念仏がこれと同じように「呪」であり「真言」であると考える。そこでわたしは、「呪」「真言」を「唱えことば」と言葉をつくり、解釈することにする。

大神呪の「神」は原語にはなく、漢訳したときに付け加えられたものである。「大呪」で訳そうとすれば、大いなる唱えことば、たいへんに効く唱えことばとなる。前掲の『般若心経』によると、般若には神験威カ測るべからざるものがあるところからいうとある。また、「大呪」を「大神呪」と訳すことは早くから行われ、ずっと後世まで、ほとんどの翻訳家がこの訳語に従っている。玄奘・義浄・法月・般若共利言等はそれである。異なる訳語を用いたのは、智慧輪・施護・法成であり、羅什は「大明呪」以下のみ挙げて、「大(神)呪」は挙げていない。

大明呪とは、大いなるさとりの唱えことばのことである。無上呪とは、無上の唱えことば、最高の唱えことばのことである。無等等呪とは、これに等しいものがないほどの最高の唱えことばである。

解釈としては「故に知る。最高の智慧は大いなる唱えことばであり、大いなるさとりの唱えことばであり、最高の唱えことばであり、他に匹敵するようなものがないほどの唱えことばである」となる。

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