第十三節 無苦集減道

「苦集滅道も無い」と説く。苦集滅道とは苦諦、集諦、滅諦、道諦のことで、まとめて「四諦」という。諦とは真理の意味で、人生問題とその解放に関する四つの真理をいう。

苦諦とは、人生は苦であるという真理で生苦、老若、病苦、死苦、愛別離苦、恕憎会苦、求不得苦、五蘊盛者の八苦をさしている。集諦とは、苦悩の原因は人間の欲望や愛着、執着にあるという真理である。滅諦とは、苦悩の原因にある欲、愛、執着、迷いなどの煩悩が完全に消えた状態こそ理想境であるという真理である。道諦とは、理想境である涅槃に到達するための具体的な実践方法、それは八正道であるという真理のことである。

その八正道とは、<1>正見―正しく四諦を見る <2>正思惟―正しく四諦を考える <3>正語―正しい真実の話をいう <4>正業―正しい行動をする <5>正命―身・口・意の三業を清浄にして正しい理法にしたがって生活する <6>正精進―さとりへの道に努め、励む <7>正念―正しい道理を憶念(記憶)し、邪念がない <8>正定―迷いのない清浄なるさとりの境地にはいることである。

凡夫は、この世に生きる限り「苦」を背負っている。便宜上ここでは苫を八つに分けているが、八つかもしれないし、八つ以上かもしれないし、八つ以下かもしれない。わたしたちには感じない、意識できない、表象できない、とらえることのできない種類の苦があるかもしれない。「執着、こだわり」を省こうとすると、わたしたちが今まで「こうだ」と思ってきたことを疑わざるをえない。「苦イコール四苦八苦、四苦イコール生苦、老苦、病苦、死苦」で結んでしまったこの関係は、ただ四つ、あるいは八つにまとめたにすぎないはずだが、どうしてもイコールという概念は「こだわり」となりやすい。概念とは一定の認識を示すものであるため、さとりにもとづいた概念でなければ、ある意味では執着したものだといえる。

四諦は、苦があるから苦を対処してさとりを得ようとする考えである。この考え方はわたしたちが単純に、「ものがある・存在する」と見てしまう固定的なとらえかたとおなじである。そのような四諦も、『般若心経』において空だと説いているので、苦諦も集諦も滅諦も道諦も無いのである。苦集滅道もあるとはいいきれないが、ないともいいきれないのである。

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