第二節 無圭礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢相
顛倒とは、わたしたちの迷っている、またはこだわっている見方・あり方、正しい理に反すること、誤った概念をもつことである。言い換えてみれば、まださとりを得るための智慧をもち得なく、こだわりをもっていることになる。
夢想とは、中村元氏の『佛教語大辞典 縮刷版』によれば、夢に見たことがら。前掲の『仏教経典選2 般若経』によれば、煩悩による妄想のこと。
顛倒夢想とは、金岡秀友氏の『般若心経』によれは、心の顛倒、前掲の『般若心経 金剛般若経』によれば、正しくものを見ることのできない迷いとある。また、同じく前掲の『般若心経 金剛般若経』によるサンスクリット語からの直接和択にも、心の顛倒とある。さらに大法輪編集部編の『般若心経を解く』では、わたしたちの色眼鏡であやまってさかさまに世の中を見ていた考え方とある。
顛倒夢想をどう解釈したらいいのかに悩んでいる。顛倒と夢想にわけて、夢想を夢、煩悩による妄想、心と解釈すると両方で同じような意味になるので、ひとまとめにして迷い、こだわり、煩悩とした。
「無恐怖」でなく、なぜ「無有恐怖」なのであろうか。経典どうりに、そしてそれを今風に訳してみると「恐怖なんてあるわけない」となる。ここでは、絶対にないことを強調し、断定したのだと考える。「心無圭礙 無圭礙故」以外での「無」や「不」は、「ないわけではないけれど、ないもの」という意味で空を表したものであった。『般若心経』では空を繰り返し強調しているのであるが、「心無圭礙 無圭礙故」での「無」だけは、さとれば明らかに恐怖はない、絶対にないといいきっているのである。またそうでなければ、この経を説く説得カがなくなってしまうのである。
というわけで、ここの解釈は「こだわりが無い。だから恐怖なんてないし、あらゆる迷いや煩悩というのも遠く離れたものとなった」となる。また、羅什訳では迷いや煩悩だけでなく、苦悩も含めている。
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